2023年10月1日日曜日

リジューの聖テレジアと日々の選び

 私たちの人生は、日々の小さな選びからなっています。日本のキリスト教史には多くの殉教者が出てきますが、彼らが神様への愛のために英雄的な殉教を遂げたのもまた、日々の小さな選びの積み重ねがあったからこそなのでしょう。

 10月1日はローマ・カトリック教会でリジューの聖テレジアを記念します。24歳の若さで亡くなったカルメル会の修道女ですが、彼女は13歳のころ、のちに彼女自身が「完全な回心のお恵み」と呼んでいる体験をします。

 深夜のクリスマスミサに家族であずかって帰宅したとき、お父さんは暖炉の中に自分で用意したテレーズ(テレジア)へのプレゼントに目をやって、うっかりこんな言葉を口にしてしまいます。「やれやれ、ありがたいことにこれも今年が最後だ」と。13歳のテレーズはその言葉を偶然聞いてしまいますが、わっと泣きだしたくなる思いをこらえて、かえって嬉しそうに暖炉の前にかけ寄り、靴の中からプレゼントを一つ一つ取り出して大喜びしてみせたのです。

 悲しみに押し流されて、テレーズは大泣きすることもできたでしょう。

 華やかであたたかなクリスマスミサにあずかった家族の喜びを台無しにし、お父さんにばつの悪い思いをさせ、一部始終を見ていた姉のセリーヌにさらに悲しい思いをさせることもできたでしょう。

 しかしテレーズはそうしませんでした。自分の悲しみをおさえ、家族を幸せな気持ちのままにすることのほうを選び取りました。

 このように、キリストへの愛のために自我に死んで神のみむねを選び取った13歳のテレーズは、まさに小さな殉教者だったといえるでしょう。

 私もまたこうした「殉教者」を知っています。その人は私より何十年も先輩のシスターでした。ある日私は何かのことでへそを曲げ、そのシスターに食ってかかりました。彼女もさすがに気分を害し、厳しい言葉を返してきました。しかし翌日、彼女のほうから私のところにやってきて、「昨日はごめんなさいね」とにっこり微笑んで謝ってきたのです。

 それから20年近く経ち、そのシスターも天国の住人になりました。私は今でも彼女のことを、キリストへの愛のために自我に死んだ「殉教者」だと思っています。(SMP)