2018年12月30日日曜日

行く年来る年


聖家族の祝日にこの絵を見つけて、感動しました。スペインのジョアン・リモーナが描いた絵です。下には「Mater Amabilis ora pro nobis」「優しい御母私たちのために祈って下さい。」と書いてあります。
何とマリア様の優しさ、親しみ、内面性でしょう。

聖マザーテレサのお祈りを思い出しました。
  
イエスの母であるマリアよ、
あなたの心を私に下さい。
あなたの心は美しく、
清く、けがれなく、
愛と謙遜に満ちています。
私もいのちのパンの中におられるイエスを、
受け取ることができますように。
あなたが愛したようにイエスを
愛することができますように。
貧しいなかでも最も貧しい人々の
こころ痛む姿の中におられるイエスに、
仕えることができますように。 アーメン。

2018年にいただいたお恵みを感謝し、2019年のためにまた新たに祝福を願っています。
SMT




2018年12月2日日曜日

11月23日(金)~24日(土)に行われた黙想会について


1123()24()に行われた黙想会について.

 

マザー・テレサの言葉「神はあなたの人生に 関わりたくお思いです。 奇跡を願ってみましょう」がテーマでした。

手稲教会主任司祭ハン・ジョンス神父様による1日目の講話をゆっくり振り返ってみたいと思います

 

人生の中で、一番飢え渇いているときに、イエスはわたしの心の扉をノックし訪れてくださる!

 

  心が空っぽに感じるとき、

心に埋めようがない穴があいてしまったとき

心に渇きを感じ満たされない心を抱えてしまったとき

砂漠のように渇きを感じているわたしに イエスは声をかけられる

 

「水を飲ませてください」

 

乾いているのはわたし、そのわたしの所にいらして水を求められるの?

イエスは続けて語られます

 

「もし、あなたが、神の賜物を知り、『水を飲ませてください』といった人が、だれであるかを知っているなら、あなたのほうから願い出たことであろう。そして、その人は、あなたに生ける水を与えたであろう」

 

生ける水・・・? この井戸の水のことではないの・・・?

 

「この水を飲む人は皆、また渇く。しかし、わたしが与える水を飲む人は、永遠に渇くことがない。

わたしが与える水は、その人の中で湧き出て、永遠のいのちにいたる水の泉となるであろう」

 

それはわたしが求めていたもの? わたしを満たすことのできるものはそれ!

「主よ、渇くことのないように、また、ここまで水を汲みに来なくてもいいように、その水をください」

ヨハネによる福音41節~42節 (新約聖書 フランシスコ会聖書研究所訳注)より抜粋

 

イエス・キリストと言葉をかわしたその女性は、町の人々と距離を置いて生活していたようです。  しかし、自分が神から捜し求められている者、つまり神から愛されている!と悟ったとき、その心にあふれる喜びを黙っていることはできず、町の人々にわだかまりがあったにもかかわらず、伝えに行ったのでした。

 

イエスと出会ったその人は、あふれる喜びに満たされました。そして、自然と湧き出て流れ続ける泉のように物惜しみすることなく、奉仕したくなったのです。

 

この女性の孤独感から、あふれる喜びへの心の変化を あなたはどう感じますか? 
                                        文責SMG  

2018年11月1日木曜日

長崎巡礼


10月下旬、長崎巡礼に行く機会をいただきました。以前から特別な印象を持っていた長崎の教会や原爆資料館などを訪れました。
街を走る路面電車や坂道を上った丘から眺めた風景を思い出しながら、見聞きしてきたことをたどっています。
キリスト教の広まりとキリシタンの迫害そして再発見、さらには原爆の投下がいずれも長崎で起きたことは決して偶然ではないように思います。長崎の街が、人々の平和を願う心と捧げられる祈りに覆われているように感じました。
そうしたなか、思い浮かんだのは「平和をもたらす人は幸いである。その人は神の子と呼ばれるであろう」(マタイ5章9節)というみ言葉でした。
永井隆博士が晩年を過ごされた如己堂において、心を合わせて唱えたアシジの聖フランシスコの「平和を求める祈り」を大切にしていきたいと思います。
                         
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を 疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を 絶望のあるところに希望を
闇に光を 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを わたしが求めますように
わたしたちは 与えるから受け ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に 永遠のいのちをいただくのですから
Sr.M.V


2018年10月21日日曜日

聖フランシスコの祝日

 

10月は、4日が聖フランシスコの祝日であるため、自然とフランシスコのことを思い出します。彼は中世に実存した人物で(1118?~1226)、わずか40歳そこそこで亡くなりますが、現代にも及ぶ大きな足跡を残りました。
その半生を描いた作品が「ブラザーサン・シスタームーン」という映画(1972年公開)です。14歳で初めてこの作品を見た時、内容がさっぱりわかりませんでした。ただ。クレアが髪を切るシーンだけが印象に残りました。滝の音と共に…。
謎に包まれたまま終わってしまった映画で、題名も覚えていませんでした。ただもう一度見たいと思うだけで。
皆様もまだ見ていないという方は、ぜひご覧になってくださいね。
                                 Sr.M.B.


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2018年10月9日火曜日

黙想会のお知らせ


黙想会のお知らせ

神はあなたの人生に 
関わりたくお思いです。
奇跡を願ってみましょう。

日 時
1123日(金) 2時受付
1124日(土) 3時まで
場 所
花川マリア院
石狩市花川南35丁目25
電話 0133738562
講 話
ハン・ジョンス神父様
対  象
30歳~50歳までのカトリック女性独身信徒
費 用
3.000
持ち物
洗面用具・筆記用具
申込み
1113日(火)まで
詳 細
石狩市花川35丁目25
マリア院 Sr.マリア・チェリナ
電話 0133738562
E-mail : maria-in@live.jp

 

2018年9月20日木曜日

大天使聖ミカエル


今日920日から大天使聖ミカエルの祝日のノヴェナが始まります。ノヴェナは九日間の祈りで、よくお祝い日の前に心の準備として祈ります。あるドイツの方々は毎月の5日から13日まで聖ミカエルのノヴェナを祈っていますが、その祈りはまだ日本語が出ていません。私はドイツ語のしおりしかもっていません。いつか時間があるとき訳したいですが、今までなかなか出来ませんでした。大天使聖ミカエルは力強い天使で、日々の霊的な戦い、昔からよく臨終に向かっている魂を天国に導く方として取り次ぎを祈りました。そのために私たちは花川マリア院の納骨堂の入り口に聖ミカエルのご像を安置しました。
昔から次の祈りがよく祈られています。

大天使聖ミカエル、
日々の戦いに私たちを守り、
悪魔の力に勝つようお守りください。
神が彼に命令をお下しになることを
伏してお願いいたします。
ああ聖なる大天使よ、
霊魂を損なおうとして働いているサタン、
その他の悪魔を、
神の御力によって退けてください
ますように。アーメン。

2018年8月19日日曜日

「宇宙の元后・聖マリア」


 天の父よ、あなたはこの宇宙を、御子の母である聖マリアの御保護のもとに置いて下さったことを感謝いたします。御母の愛のうちに私たちを成熟したキリスト者に育ててください。


元后、憐みの御母、「憐みの目を私たちに注ぎ、尊いあなたの子イエスを、旅路の果てに示してください。おお、いつくしみ、恵みあふれる、喜びの乙女マリア。」



2018年8月1日水曜日

聖フランシスコとポルチウンクラ

 騎士になることを夢見ていたフランシスコが回心の歩みを始めたある日、アシジのサン・ダミアノ教会で十字架上のイエスから、次の言葉を聞きました。
「行きなさい、フランシスコ。そして私の家を修復しなさい。見えているように、それは崩壊の中にあります。」
また、天使の聖マリア教会のミサで朗読された福音を通して、神からの啓示を受けました。「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅行袋を持つな。重ね着もせず、はきものもはかず、杖も持ってはならない。」(マタイ109
神への絶対の信頼をもってすべてを手放し、壊れかけたサン・ダミアノ教会、そして天使の聖マリア(ポルチウンクラ)教会を修復するフランシスコに、アシジの人々も目を留めるようになり、フランシスコに従いたいという者も現れました。彼は、そのように願う者を兄弟として迎えました。
フランシスコと最初の兄弟たちは、天使の聖マリア教会の近くに小屋を作り、街へ出ては人々に福音を説き、病人を世話しました。やがて、フランシスコは11人の兄弟たちとローマへ出かけ、教皇様より生活規範への許可をいただきました。これが小さき兄弟会の始まりとなりました。フランシスコに従って福音の道を歩みたいという願う人々が、さらに集まってきました。
82日は、天使の聖マリア(ポルチウンクラ)教会の祝日です。ポルチウンクラには小さな分け前という意味があります。フランシスコは兄弟的生活を始めたその場所で、最期を迎えることを望みました。集まった兄弟たち一人ひとりを祝福し、その場に居合わせなかった兄弟、また将来この会に入ってくる兄弟たちをも祝福しました。
 2013年にアシジを巡礼する機会をいただいた時、アシジに到着して最初に訪れたのが、天使の聖マリア(ポルチウンクラ)教会でした。二十数人も入ればいっぱいになる小さな聖堂を覆うように、大聖堂が建っています。壮麗な大聖堂のなかにあって、この小さな聖堂は、フランシスコが帰天した場所として特別な雰囲気を放っていました。幸いにも、滞在中、この聖堂で二度ミサにあずかることができました。
現在の教皇様が、自らの名前を聖フランシスコから選ばれたように、神の前に小さい者として互いに仕え、謙虚に生きることをフランシスコは私たちに示していると思います。



2018年7月15日日曜日

マリア・ゴレッティ

教会は毎年7月6日に殉教者聖マリア・ゴレッティを祝います。彼女は12歳の時、純潔
を守るために殺され、命を落としました。死ぬ前、彼女に「人殺しをした人を赦
しますか」と聞いた人がいました。彼女は次のように答えました。「はい、私はあの
人を赦します。天国で彼の回心のために祈ります。イエス様は十字架上で回心した強
盗をお赦しになったので、私もイエス様のために、殺した人が天国で私のそばへ来て
欲しいです。」
イエス様のために敵をそばに来て欲しいのです。私は天国で誰がそばに来て欲しいで
しょうか。この地上で心の準備をしなかったら…

Saint Maria Goretti icon

2018年6月22日金曜日



 

 
 
 
私の家には、玄関を入って間もないところに、小さな十字架がかけられていました。その少し下には、ラファエロ作「聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ」の絵がありました。毎日、何度もこの場所を行き来するなか、自然と目に入っていた絵でした。

幼いイエス様と並んで描かれている子どもがヨハネであることは、あまり意識していませんでした。ヨハネが、聖母マリアが訪ねたエリザベトの息子であること、ヨルダン川でイエスに洗礼を授けた人物であることを知ったのは、ずっと後になってからでした。

洗礼者聖ヨハネは、救い主イエス・キリストが世に来られ、わたしたちの間におられることを教えました。聖母マリアと同様に、神の救いのご計画への偉大な協力者でした。彼は、イエスに先立って神の国の到来を告げながらも、最後は人間の思惑によって命を絶たれてしまいます。「あの方は栄え、わたしは衰えなければならない」という洗礼者聖ヨハネの言葉は、彼自身の生涯を表していると思います。

カトリック教会では、624日に洗礼者聖ヨハネの誕生を祝います。教会暦で誕生を祝うのは、イエス・キリスト(クリスマス)、聖母マリア(98日)、そして洗礼者聖ヨハネだけであるそうです。ラファエロの絵のなかに、私はこの3人を子どもの頃からずっと見ていたことを今、思い浮かべています。

2018年6月7日木曜日

イエスの御心



イエスの御心の祝日は私たちの修道会にとって大切です。今年、イエスの御心は6月8日です。
その日を敬うために、私は皆さんとこれらの聖ファウスチーナの言葉を共有したいと思います。
これから「聖ファウスチーナの日記」の本p。673#1748。神よ、あなたは万物の造り主!

1748
神よ、あなたは、その慈しみの御業にあいて礼拝されますように、
すべての忠実な心によってたたえられますように
それらの心の上にあなたの眼差しは憩い、
それらの心の内にあなたの不滅の命が住んでいます。


ああ、我が慈しみのイエスよ、地上のあなたの御生涯は痛ましいものでした、
恐るべき苦悩のうちに、あなたの御業は終わりました、
木の十字架に磔けられながら、
そしてこのすべては、わたしたちの霊魂への愛のため。


考えられない愛のうちに、あなたは御自分のいと聖なるわき腹が開かれるのをお許しになり、
血と水の流れがあなたの御心からほとばしり出ました。
ここに、あなたの慈しみの生ける泉があり、
ここで、霊魂たちは慰めと涼しさをいただきます。


御聖体の内に、あなたは慈しみをわたしたちに残し、
愛によってそのように整えてくださいましたが、
それは、わたしが苦しみと労苦のうちに人生を歩むとき、
あなたの優しさと慈しみを決して疑わないためでした。


たとえ全世界の惨めさが霊魂に圧しかかっても、
わたしたちは一瞬間も疑わずに、
神の慈しみの力に信頼しなければならないからです、
なぜなら、優しさをもって、神は悔い改める霊魂を受け入れてくださるからです。


わたしたしの主の言語に絶する慈しみよ、
憐れみとあらゆる甘美さも源よ、
霊魂よ、信頼しなさい、信頼しなさい、
罪によって汚されていても、あなたが神に近づくとき、苦々しさを味わいませんから。


神は大いなる愛の生ける炎であられるので、
わたしたちが真摯な心で近づくとき、
わたしたちの修めさ、罪、そして悪意は消えます。
わたしたち自身を神に委ねるとき、神がわたしたちの負債を支払ってくださいますから。

2018年5月30日水曜日

聖母のご訪問


前に述べたように, 5月はカトリック教会で聖母マリアにささげられた「聖母月」としています。今月の最後の日は、聖母がエリザベトを訪問した美しいお祝い日です。マリアはイエス様を宿した直後、素早く彼女のいとこエリザベトに会いに行きました。祝福された聖母は、エリザベトも年を取っても子を宿していたことを天使から学びました。大きな喜びで、マリア様はいとこを助けるだけでなく、イエスの存在を分かち合うために行きました。これらの聖なる女性たちの出会いは、聖霊がエリザベトの息子ヨハネを祝福するための手段でした。
ルカによる福音書:
「エリサベトがマリアの挨拶を聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベトは聖霊に満たされ、声高く叫んで言った、『あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところに来てくださるとは、なんという光栄でしょう。ごらんなさい。あなたの挨拶の声がわたしの耳に入ったとき、子供が胎内で喜びおどりました。主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんと幸いなことでしょう』」。ルカ第14145
この出来事は大きな喜びをもたらします。私たちが聖母マリアを歓迎するならば、聖母マリアは私たちを毎日訪ね、いつも息子イエスを連れて来ます。それだけでなく、私たちも他の人にイエスを連れて行き、喜びを分かち合うことができます。何という素晴らしいお祝い日でしょう。

2018年5月6日日曜日

一泊黙想会


53日~4日花川マリア院で若い方々の黙想会が行われました。豊かな大自然の美しさ、そしてそこで沈黙を味わい、一緒に祈り、講話を通して信仰の証を立てた方の手紙を読みました。お恵みの時を過ごすことが出来て、神に感謝!「奇跡の人・マリーとマルグリット」という映画も見て、自分の召命について分かち合いしました。「ご大切」の力について感動しました。是非ご覧ください!

 
 

 


2018年5月5日土曜日

 5月はカトリック教会で聖母マリアにささげられた「聖母月」としています。
 私たちの修道会でも聖母マリアへの崇敬を大切にしており、シスターたちはフランシスカンの伝統に従ってロザリオを毎日祈るようにしています。
 福音書のなかでマリアさまの姿が描かれているところはそう多くありませんが、それでも3つの場面が印象的な姿として浮かび上がってくるかもしれません。すなわち、大天使ガブリエルによって救い主の懐胎を告げられたときのマリアさま。少年イエスがエルサレムの神殿を「わたしの父の家」と呼び、それを思いめぐらしていたマリアさまの姿。そしてわが子が十字架に架けられたとき、そのみもとにたたずんでいたマリアさまの姿。
 毎日の生活の折々に、これら3つのマリアさまの姿を指標にしていきたいものです。


2018年5月4日金曜日

 私たちは、1869年にドイツで創立された殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会です。日本には、1920年にドイツから3人のシスターたちがやって来て、事業を始めました。私たちの霊性である「キリストの愛を目に見えるものとする」を柱として、幼稚園や学校、高齢者施設などを運営しています。
 これから1か月に1~2度、このブログでシスターたちの黙想を発信していきたいと思います。