2024年11月5日火曜日

「11月に寄せて」

     私が小学校2年生の時、雑誌『カトリック生活』の子ども向けのページで、ドメニコ・サビオとラウラ・ヴィクーニャが紹介されていました。この二人について学んだ、あるカトリック小学校の子どもたちの感想も載っていて、「わたしはドメニコ・サビオのようになりたい」と書いている子もいました。このような事を教わる学校もあるのだと知って、驚いたことを覚えています。特に、ラウラ・ヴィクーニャは、別の世界の女の子のように映り、その印象はずっと心の片隅にありました。

 
 同じ頃、教会で会うことを楽しみにしていたシスターがいました。ミサが終わると、一緒に近くの病院へお見舞いに行ったこともあります。皆に優しく接し、ひたむきにお仕えするように働いていた姿が何かを感じさせ、私は心の中で彼女を「マザー・テレサのシスター」と呼んでいました。間もなく、シスターたちは引き上げて行かれましたが、「あのマザー・テレサのシスターは、今どこにいるのだろう」とたびたび思い出していました。
 
 こちらの聖堂では、「恩人のために」という意向でミサが捧げられることがあります。このミサでは、すでに亡くなった方も含めて、お世話になった数多くの人々が自然と思い浮かびます。病床にあって、無力な状態で長年を過ごしていた家族、自らが困難を抱えながらも、思いやりや感謝を絶やすことなく生きる人々は、私に神を意識させました。彼らを通して、苦しみと恵みは分かたれたものではないということにも気づかされました。
 
 教皇フランシスコは、「聖性とはイエスとの友情を真実に生きること」と述べておられます。私が子どもの頃に触れた「別の世界」とは、「イエスとの友情に生きる世界」のことでした。私の周りにいた、隠れたかたちでありながらも、主との一致に生きる人々のお蔭で、私はこの道へと導かれたと思います。その人々の祈りに今日も支えられていること、共に主との交わりの内にあることを感謝しています。諸聖人の祭日と死者の日を迎えるに当たり、このような事を振り返りました。

2024年7月8日月曜日

ゲルハルト・ダル神父様 帰天150周年  2024.7.12

 殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会の創立に携わった恩人、ゲルハルト・ダル神父様。この方なくして本修道会の誕生はあり得ませんでした。
 今年はダル神父様帰天150年記念の年です。以下に、ダル神父様について簡単にご紹介します。

 1856年、ダル神父様(1783年生)が叙階45周年を迎え、ドイツ北西部、オランダとの国境近くにあるテュイネの主任司祭になって30年経った時、フランス北東部アルザス地方に位置するシュトラースブルヒの聖十字架修道女会から2人の修道女が、福祉活動をしている貧しい修道会のために寄付を集めながらテュイネの司祭館を訪れた。この会の修道女は子供の教育と病人の看護を目指して養成されていた。その同じ目的で小さい修道的な施設を設置する、という以前から抱いていたダル神父様の考えが熟し、1857年3月、シュトラースブルヒの総長宛にシスター2人の派遣を依頼、5月に、テュイネを管轄するリンゲンに2人のシスターが到着した。しかし、シスターたちは、ダル神父様から何も伝えられていなかった地区長の大司教区主席司祭から、さっさと帰るようにと言われた。一方、ダル神父様は、当初から数人の司祭にシスターたちがフランス人であろうという理由で反対され、最初の熱心さにもかかわらず自分の計画に自信がなくなっており、シスターたちの住む場所も用意していなかったところに、意外に早く、日時を知らせる手紙より前に彼女たちが到着したため、うろたえた。「2人のシスターは自分たちを招くのを初めから反対していた人たちだけではなく、自分たちを招いていた人の疑いをも乗り越えなければならなかった」。そして、長い熟慮の末、修道的従順により、とりあえずテュイネの主任司祭の望みとシュトラースブルヒの上長の命令に添うよう試してみなければならないという結論に達し、留まることにした。このようにして、南ドイツ出身のシスターたちの北ドイツでの新しい修道生活は、気候風土や地理的なもの、土地柄、食習慣、地方独特の言葉遣いに加えて、赤貧の内に始まった。

 先見の明あるダル神父様は、本部修道院がフランスにあるが故に、「ドイツ生まれ」という出生証明書を有しながら、何となく「フランス人らしく」、そのためにこの地での活躍に支障をきたすことを見越し、また、いつか生粋のフランス人が来ないとは誰も保証できず、低地ドイツ語弁の単純な土地の人たちにとって勝手の悪いことになる可能性を危惧した。テュイネや周辺の信仰深い家庭の中には修道生活に心を惹かれて召命を感じる者も少なくなかったが、多くの場合、両親は子女をフランスに遣ることを躊躇した。また、遠距離にある本部修道院との連絡に簡単に利用できる通信網が少なく、シスターたちが年の黙想会に与るための大旅行も大きな問題であった。更に、本部でも若いシスターをテュイネの小さい支部に送る考えはなかった。

 孤児や病人の世話をこれから先も確実に行っていくことが重要であると考え、その目的に適う独立した共同体を望んだダル神父様は、1869年7月末、85歳の時に“シュトラースブルヒの聖十字架修道女会”のシスターから成る、まったく独自の修道会を創立しようとオスナブリュック教区の当時の司教様に手紙を出した。そこには「“特別な修道者の共同体”を創立しなければなりません。そのために、準備をしておかなければならないという必要に迫られています」と報告している。

 1869年11月25日、4人のシスター(その内、3人は南ドイツの出身)によって、シュトラースブルヒの聖十字架修道女会から分離した、新しいテュイネのフランシスコ修道会が創立された。

 
 ゲルハルト・ダル神父様は、テュイネの主任司祭になって以来、尽力を惜しまず生涯をこの小教区に捧げた。素朴、質素を旨とし、司祭職に対する誠実さで時代に即応しながら巧みに司牧の任を果たした。また、些細な点に至るまで常に節倹を旨としつつも、必要とあれば私有財産をもって援助を惜しまなかった。彼の高貴な善業は、常に寛大に与える気構えであったとはいえ、慎重さを欠くものではなかった。彼の好意に溢れた生涯は、老年に至るまで健康に恵まれ、64年間の司祭生活の後、1874年7月12日、享年91歳で天に召された。彼は、教会、特に貧しい人々や病人、テュイネのフランシスコ修道会の最初のシスターたちにとって、父親のような司祭であり、助け手そして良き助言者であった。小教区の信者、また大勢の人々にとって、類を見ないほど、ご自分を顧みることのない賢明な恩人であり、開かれた心と勇気ある行動によって、時代の先を行かれる方であった。

 ダル神父様の司牧者としての社会的かつ慈善的な愛の行いは、今日もなお生き続けている。

-参考文献-
・Mutter Maria Anselma Bopp, Gründerin der Kongregation der Franziskanerinnen vom hl. Martyrer Georg zu Thuine, Schwester M. Sixtina Eilers 著;1987
・「お帰りください! テュイネにはあなたがたのすることは何もありません」シスター・アンゼルマ・ポップとテュイネのフランシスコ修道会の成り立ち(1857-1869)上巻, シスター・マリアンナ・ローゼンベルガー 著;2012
・「主は貧しさのうちに私たちを祝福なさいました」ムッター・マリア・アンゼンルマ・ポップとテュイネのフランシスコ修道会の成長(1869-1887)下巻, シスター・マリアンナ・ローゼンベルガー 著;2023

 
 尚、今月17日はパウリネ・ポップ、後の本修道会創立者ムッター・マリア・アンゼルマ・ポップ(1835-1887)の命日です。彼女は170年前の5月31日、シュトラースブルヒの聖十字架修道女会に入会しました。創立者については2023年7月のブログをご覧ください。

http://sapporomaria-in.blogspot.com/2023/07/

(SMS)

2024年6月15日土曜日

み心の信心について 2024

6月はみ心の月です。ご存知かと思いますが、少々書いてみます。

17世紀フランスで、シスター・マルグリット・マリーは

イエスご自身から使命を与えられました。

それは、み心を教会と信者たちに知らせ、

悔い改めを促し、

み心の名誉を回復し、

更にキリストのみ心の栄光の祝日を定めるということです。

 「太陽よりも輝かしく、クリスタルガラスのように透きとおった炎の王座の中に、

神のみ心が現れ、私に示されました。」と、シスターは証言しています。

み心には、私たちがあがめるべき傷口があり、

いばらの輪がまかれていました。

そしてその上には十字架が見えました。

この十字架は、神様が受肉された瞬間から

つまりこのみ心が作られたその瞬間から

そこに突き立てられています。

イエス様の全ての苦しみが始まった瞬間、

つまり人間になった神が、その全生涯を通して受ける苦しみの始まりの瞬間から

彼の心が恥辱や貧しさ、痛み、蔑みから来る苦悩で満たされていたことを

私は見てとりました。」

このような大きなメッセージを受け取っておきながら、なお、私共はイエス様を無視で
きるでしょうか。「渇く」(ヨハネ・19.28)と言われたイエス様のみ心をお慰めし
に行こうではありませんか。 

                      SMB












2024年5月5日日曜日

イエスのおん傷

『スパイ・ゾルゲ』(2003年)という映画をDVDで観ていたとき、ゾルゲ役の俳優が片足を軽くひきずりながら歩く場面を見て、世の中の女性というのは非の打ちどころのない美男子よりはむしろ何か欠けたところがある男性に惹かれるものなのかもしれないな、と感じました。

 私たちの普段の生活の中でも、見目麗しく頭脳明晰、かつ裕福な人間よりはむしろ、多少の欠点はあるけれども愛すべき人というのが、一緒にいて安心できるのではないでしょうか。

 イエスさまが死者の中から復活されて弟子たちの前に現れたとき、「手と足をお見せになった」(ルカ24.40)と書かれてあります。その手と足に十字架に釘付けられたときの傷あとが残っていたとは書かれていませんが、私はきっと残っていたと思います。ヨハネによる福音書の並行箇所では、弟子たちに「手とわき腹とをお見せになった」(ヨハネ20.20)とあります。これは、弟子たちが復活されたイエスを見てもにわかに信じられないでいるので、イエスさまは十字架に釘付けられたときの傷がまだ残っている手と、槍で刺された跡が残っているわき腹をわざわざお見せになったのでしょう。さらにはそのあとで、弟子のトマスが、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言う場面があります。そこにイエスが現れて、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私のわき腹に入れなさい」(ヨハネ20.27)とトマスにおっしゃっているのです。これらのことから、復活したイエスの体に十字架に釘付けられたときの傷がまだ生々しく残っていたことは明らかです。

 イエスさまがなぜ復活されたあとも御傷をそのままお残しになったのか、そこには何か深い意味があるような気がします。私の修道名は「ピエタ」です。ミケランジェロが制作した、イエスの亡きがらを膝に抱く聖母マリアの像、といえば、ああと思う方も多いかもしれません。自分の修道名がピエタであることもあり、私はイエスの御傷に深い思いを抱いています。
私たちが生きている世界は、傷や病というものは克服するべきもの、癒すものです。「癒し系」が人気を博したり、名医に病気を治療してもらうために外国まではるばる出かける人もいます。

 しかしイエスの御傷はクリスチャンにとって特別な意味があります。それは、イエスさまが十字架上でむごい死を遂げられることによって、私たちを罪から救ってくださったからです。旧約聖書の中に、「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(イザヤ53.5)というみことばがあるとおりです。私たちクリスチャンにとって、イエスの御傷は私たちの救いのみなもと、泉なのです。だから教会の屋根には十字架があるし、聖堂には必ず十字架があるのです。クリスチャンの中には十字架のネックレスなどをする人たちもいます。

 私たちの修道院では寝る前の祈りで、「イエスの尊いおん傷のうちに私たちは隠れます」と唱えます。私がとても好きな、というか、やはり胸に深くしみることばです。神の子でありながら、私たち人間と同じ肉体に深い傷を引き受けてくださったイエスに感謝と賛美。私がこの身と心に受ける傷をイエスの御傷に重ねるとき、それはもはや単に癒すべきもの、克服するものではなく、深い意味を帯びるものへと変えられていくのです。

                                        (SMP)

2024年4月23日火曜日

忙しいときには

 3月4月は年度変わりの時期であり、教会のカレンダーでも四旬節から復活節へとイベントめじろおし?の時期です。あれもしなきゃ、これもしたほうがいいかな?と 私はいろいろ思いめぐらし、心浮足立ってしまいます。けれども私の悪い癖で、心忙しくしているときには周りが見えなくなったり、大切なことを後回しにしてしまったりして後悔してしまうことが多々あります。

 そんなときに私は、自分の力で何とかしようとがんばり、自分で何とかできると思いこんで動いてしまい、まわりが見えず、いやむしろ私の目標達成の障害物!を作り出してしまうのです。そしてあとになって我に返り、自己嫌悪になる繰り返し。

 若いときにはそれでやり過ごしてきましたが、当然それはよくないことです。今となっては「自分の力に頼るのではもう無理」。もう若気の至りではすませられない! ではどうすべきか、今さらですが考えてみました。

 やっぱり神様のみむねに従うこと。頭ではわかっているつもりのことでした、ここは素直に回心したいものです。大切なことを 心をこめて行う。単純なことですが、実行するのは難しいときがたくさんあります。神様のみむねだとわかったことは何でもする。でも自分でしようと思ったことは全部できなくてもいい。そう思える心の余裕と、心の余裕がないときにはそのことに気づくことができるお恵みを神様に願う今日このごろです。(SMG)