2023年12月31日日曜日

 グレッチオの馬小屋の800周年記念  全免償

教皇フランシスコが聖フランシスコのグレッチオの馬小屋の800周年記念に際して、すべての信者たちに次のことを定めました。

「信者の霊的刷新を促し、恵みの生活を増やすために、聖座は、2023年12月8日(聖母マリアの無原罪の御宿りの祭日)から2024年2月2日(主の奉献の祝日)まで、世界中のフランシスカン家族に委託されている教会を訪れるすべての信者に、全免償を与えることにしました。馬小屋の前で祈りの一時として留まることで、信者は通常の条件で免償を受けることができます。同じように、病人や身体的に参加できない人も、苦しみを主にささげたり、敬虔な修行を行ったりすることで、免償の恩恵にあずかることができます。」

こちら札幌マリア院の聖堂で全免償が受けられます。条件としては、赦しの秘跡・ご聖体拝領・教皇様のために「使徒信条、主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱」を唱えることです。     

教会が与えられたお恵みをたっぷり味わい、全免償を頂きましょう!SMT

2023年12月15日金曜日

クリスマスの馬小屋

 この時期、美しいクリスマスの飾りがたくさんあります。それらはクリスマスの意味を思い出させてくれます。最も重要なもののひとつがクリスマスの馬小屋です。最も明確で理解しやすいです。クリスマスはイエスの受肉を祝うものです。

 

誰がこの伝統を始めたかご存知だろうか?アッシジの聖フランシスコで した。実は今年は、最初の降誕シーンから800年目にあたります。 聖フランシスコの生前、共同体に加わったフランシスコ会士チェラーノのトマスは、この行事の歴史を記しています。以下は彼の言葉である:

 

ここで、フランシスコが栄光に輝く帰天の3年前、すなわち1223年、私たちの主イエス・キリストの御降誕の日に、グレッチオという小さな村で行ったお祝いを思い起こし、これを心から記念しなくてはなりません。この村に、ヨハネという人が暮らしていました。その生活ぶりは、よい評判を上回る立派なものでした。聖フランシスコは彼を特別、心にかけていました。ヨハネはこの地方で高い評価や名声を受けていたにもかかわらず、生まれもった高貴さを軽んじ、心の気高さを追い求めていたからです。聖フランシスコは、よくそうしていたように、主の御降誕の2週間ほど前、グレッチオのヨハネを自分の元へ呼んで、こう言いました。もし、私たちがグレッチオで、間近に迫った主の祝日を祝うことをあなたが望むなら、急いで行って、私が言う通りに、心をこめて用意を整えていただきたいのです。私はベトレヘムでお生まれになった幼子を思い起こしたいのです。同時に、そのお方が飼葉桶に 眠っている様子、牛やロバがそばにいて、干し草の上に横たえられ、すでに幼子の時から味わわなければならなかった、たいへんな苦しみをできる限り、この目で間近に見たいのです。善良で誠実なその人は、これを聞くと、急いで出かけて行き、言われた場所に聖なる人が命じた通りのものをすべて 用意しました。喜びの日が近づき、歓呼の時がやって来ました。あちこちの共同体から 、兄弟たちが呼び集められました。近くに住む男女がそれぞれの仕方で、ろうそくや松明を心躍らせて用意しました。きらめく星によって、長い歳月を照らしてきたこの夜を明るく照らすために、彼らはろうそくや松明を用意しました。最後に、神の聖なる人、フランシスコがやって来て、すべてが整えられているのを見ると満足そうにしていました。そこには飼葉桶が用意され、干し草が敷かれ、牛やロバが連れて来られていました。そこでは、単純であることが尊ばれ、貧しさがあがめられ、謙遜がほめたたえられています。グレッチオは新しいベトレヘムになるでしょう。夜は昼のように明るく、人間と動物を照らしていました。人々が押し寄せ、この新たな神秘を前に新鮮な喜びで満たされていました。森が人々の声で鳴り響き、岩がその喜びにこだましました。兄弟たちが歌い、主にふさわしい賛美を捧げると、夜は途切れることなく、喜びの歓声をあげました。神の聖なる人は飼葉桶の前に立つと、敬虔な思いに打ち震え、この上ないあふれるほどの喜びから、深く心を動かされ、溜め息をつきました。飼葉桶を前にして、ミサが捧げられました。司祭はこの時、予期せぬ慰めを味わいました。神の聖なる人は、耳に心地よく響く声で聖福音を歌い上げました。彼の声は力強く、柔らかで、澄んでいてよく通り、聞く人を皆、主への賛美へと誘いました。…その時、ある善良な人がすばらしい幻を見たのです。彼が飼葉桶に横たわる生命のない小さな子どもを見つめていると、神の聖なる人が 近づき、ぐっすりと 眠っている子どもを起こすように見えました。幼子イエスが大勢の人々の心から忘れられていたことを考えるなら、この幻も全く不適当とは言えません。イエスは恵みによって、ご自分の聖なる僕、フランシスコを通して再び蘇られ、その人々に生き生きとした印象を刻んだのです。この夜の祝祭が終わりを迎えると、居合わせた人々は聖なる喜びをたずさえて家路につきました。

 

 この物語は長いですが美しいです。今年のクリスマスは、幼子イエスをゆっくり眺めましょう。喜びと平安に満たされますように。

 SMH

 

2023年11月24日金曜日

「諸聖人の祝日」に,ちなんで

9月に入会した志願者に好きな聖人を3人挙げてもらいました。

 

シスターマリア

1.パドアの聖アントニオ(フランシスコ会)

困ったときすぐに助けてくれる。

ベトナム人の友人が日本で2か月間失業していた時、聖アントニオに祈ったら3日間で仕事を見つけることができた。


2.マザーテレサ

自分自身、看護師なので好きです。


3.聖ヨセフ・クぺルチノ(フランシスコ会)

 

シスターテレジア

1.マルティン・ポレス(ドミニコ会)

病人の為、良く祈った。自分の食べ物が少ないのに他者にも食べさせた。

動物とも話せる。ネズミにも自分の食べ物を分けた。



. レ・ティ・タン・デ(1781~1841)

  ベトナム中部の主婦。キリスト教迫害時代に司祭をかくまったが、密告者によって司祭と共に捕まり、広場に連行される。棄教させる為たくさんの蛇が送られ、かまれて血だらけになった。子供たちには「泣かないで」、「お母さんが十字架を背負えるよう祈ってね」と言い、最後には水も食糧も与えられず餓死した。

1988619日列聖



. 聖モニカ

 

皆さんはどんな聖人が好きですか  





SMB


2023年10月1日日曜日

リジューの聖テレジアと日々の選び

 私たちの人生は、日々の小さな選びからなっています。日本のキリスト教史には多くの殉教者が出てきますが、彼らが神様への愛のために英雄的な殉教を遂げたのもまた、日々の小さな選びの積み重ねがあったからこそなのでしょう。

 10月1日はローマ・カトリック教会でリジューの聖テレジアを記念します。24歳の若さで亡くなったカルメル会の修道女ですが、彼女は13歳のころ、のちに彼女自身が「完全な回心のお恵み」と呼んでいる体験をします。

 深夜のクリスマスミサに家族であずかって帰宅したとき、お父さんは暖炉の中に自分で用意したテレーズ(テレジア)へのプレゼントに目をやって、うっかりこんな言葉を口にしてしまいます。「やれやれ、ありがたいことにこれも今年が最後だ」と。13歳のテレーズはその言葉を偶然聞いてしまいますが、わっと泣きだしたくなる思いをこらえて、かえって嬉しそうに暖炉の前にかけ寄り、靴の中からプレゼントを一つ一つ取り出して大喜びしてみせたのです。

 悲しみに押し流されて、テレーズは大泣きすることもできたでしょう。

 華やかであたたかなクリスマスミサにあずかった家族の喜びを台無しにし、お父さんにばつの悪い思いをさせ、一部始終を見ていた姉のセリーヌにさらに悲しい思いをさせることもできたでしょう。

 しかしテレーズはそうしませんでした。自分の悲しみをおさえ、家族を幸せな気持ちのままにすることのほうを選び取りました。

 このように、キリストへの愛のために自我に死んで神のみむねを選び取った13歳のテレーズは、まさに小さな殉教者だったといえるでしょう。

 私もまたこうした「殉教者」を知っています。その人は私より何十年も先輩のシスターでした。ある日私は何かのことでへそを曲げ、そのシスターに食ってかかりました。彼女もさすがに気分を害し、厳しい言葉を返してきました。しかし翌日、彼女のほうから私のところにやってきて、「昨日はごめんなさいね」とにっこり微笑んで謝ってきたのです。

 それから20年近く経ち、そのシスターも天国の住人になりました。私は今でも彼女のことを、キリストへの愛のために自我に死んだ「殉教者」だと思っています。(SMP)

2023年9月23日土曜日

十字架を背負う人

 
 9月14日は十字架称賛の祝日でした。イエスさまは私たちに、「自分の十字架を背負って従いなさい」と言われました。

 あなたにとって十字架とは何でしょうか。嫌なものや嫌いなもの? あるいはつらいものでしょうか?

 私は十字架を背負う人とすれ違ったことがあります。

 何年も前のある暑いお盆の日、私はお昼の準備のために車で買い物に出かけました。その日はファストフードにしようと、人数分のハンバーガーとシェイクを買って帰る途中でした。そして運転していたときに見たのです、十字架を背負うその人を。その男性は大変やせていて、健康そうには見えませんでした。むしろ病的にやせ細っているほどでした。

 なのにその人は両手にたくさんの食材が入った買い物袋を持って、一生懸命に歩いていたのです。その場所はスーパーマーケットからかなり離れていました。つまり彼は重い荷物を持って、長い距離を歩いていたのです。

 私が引きつけられたのはその人の表情でした。彼は嬉しそうだったのです。生き生きとした目をして、口元はほほえんでさえいるようでした。その人は家に帰ったら、彼にとって大切な人のためにごちそうを作るつもりなのだ、と私はとっさに思いました。大切な人の喜ぶ顔を思い浮かべながら、重い荷物と自分の病気を運んでいるのだ、と。

 そのとき私はキリストを見た思いがしました。十字架を背負って歩まれるイエスさまのようだ、と。

 イエスさまは私たちを愛して、私たちの救いのために重い十字架を背負われました。その苦しみは私たちがイエスさまと一緒に食卓をかこむためだったのです。イエスさまは私たちの顔を思い浮かべながら、十字架を背負って歩かれていたのです。

 大切な人の喜ぶ顔を思い浮かべることができたなら、自分の十字架を背負ってイエスさまに従うことは、喜びに変わるのではないでしょうか。いやなことや嫌いなことでさえ、喜びに変わるのではないでしょうか。嬉しさや満足感がもっともっとあふれ、まわりの人たちに対して自然に優しくなれるということなのではないでしょうか。

 もう何年も前の、今でも心に残っている印象的な出来事でした。

 (SMG)

2023年8月29日火曜日

夏の思い出


私は小学2年生の夏休みに、教会に一泊したことがあります。その晩、港で行われた花火大会を皆で見に行きました。帰り道を一緒に歩いた神父様が、「僕は子どもの頃、体が弱くて、勉強も苦手だったの」と話してくださいました。「尊敬されている神父様が、そうだったなんて」と驚いたことを覚えています。子どもを相手にこのように打ち明けてくださった神父様には、その後もずっとお世話になりました。


それから15年後の夏の出来事です。ある神父様はミサで福音朗読を終えると、こうおっしゃいました。「皆さん、こんな暑い日に来てくださって、長い話を聞くのもたいへんでしょうから、今日は短くします。」と。そして、「地獄はもっと暑いです。」と一言だけ話されると、神父様は席に着かれました。一瞬、戸惑いました。教会で地獄や煉獄という言葉を耳にすることはほとんどなくなりましたが、時々、この時のことを思い出します。

故郷の教会には、今もつながりを感じています。祈りを通して支えてくださる方々に感謝しています。


10年前のこの時期、私は巡礼の機会をいただいて、各地の教会や聖人ゆかりの地に足を運んでいました。聖母マリアや聖人に取り次ぎを求めて、大勢の人々が真剣に祈りを捧げていた姿は今も忘れられません。祈りの雰囲気を味わう中で、喜びや恵み、困難や苦しみ、どんなことも決して分かたれたものではないということに安心を感じました。これは、周りの祈る人々の中に、私がそれまで見てきたことでもありました。巡礼を通して得たこの安心感は、今も私の支えとなっています。                       SMV


巡礼で訪れたドイツ、ヘーデの聖母子像





2023年7月17日月曜日

創立者ムッター・マリア・アンゼルマの命日

 7月17日は本修道会の創立者Mutter M. Anselma の命日です。彼女は1887年7月17日に天国に召されて、最後の言葉は「主イエス、来てください」でした。

 もともとはストラスブルグの聖十字架の会に所属していたシスター・アンゼルマ・ボップは、荒れ果てた田舎で病人や子供たちに仕えるために、若くしてふるさとの南ドイツから北ドイツに移りました。34歳の時に、彼女はテュイネにおいて新しい修道会を創立する使命を感じました。神の摂理に対する従順のうちに、彼女はこの使命に伴う肉体的な重荷と精神的な困難をすべて耐え忍びました。

 ムッター・マリア・アンゼルマのいくつかの言葉を紹介します。

*「勇気を落としてはいけません。悩み苦しむ時、イエスの聖心の中に逃げ込みなさい。」
*「神様がどんなことをお計らいになっても、それは私どものために最もよいことなのです。」
*「清貧への愛・仕事の喜び・祈りの忠実」

 Mutter M. Anselma、私たちのために取りなしてください。         SMT

2023年6月1日木曜日

三位一体の祭日

    

    今年は6月4日に三位一体の祭日を祝います。スール・エリザベトによる「三位一体の祈り」をご紹介したいと思います。良い黙想ができますように。
 「おお私の神、愛すべき三位一体よ、どうか私の魂が、永遠のみ国に住んでいるかのように、安らかさと静けさに包まれて、あなたの中に生きることができますよう、自分のすべてを忘れるようにお助け下さい。
    おお普遍の神、何事も私の心の平和を乱すことなく、また私をあなたから引き離すことがないように。かえって一瞬ごとに、私があなたの奥義の深みに引き入れられていきますように。
    私の魂を鎮め、これをあなたのお気に入りの住居、憩いの場、あなたの天国としてください。そして瞬時もあなたを独きりにしておくことなどないように。全き信仰に目覚め、礼拝しつつ、あなたの創造的働きにこの身のすべてをゆだねて、そこにとどまることができますように。
    おお愛するキリスト、愛によって十字架につけられたイエス、私はあなたを死ぬほど愛したいのです。この無力な私、どうぞあなたがご自分を私にまとわせ、私の生涯があなたのご生涯の再現となりますように、私の魂をあなたの魂のすべての動きに同化させて下さい。
    あなたの中に私を沈め、私を捕らえ、私に代わってあなたが生きてください。どうか、礼拝者、代償者、救い主として私の中にお住まいください。
    おお私の聖なるみことばである永遠の御子よ、私はあなたのみ声に聞き入りながら生涯を過ごしたい。あなたからすべてを学ぶためにすなおに心を開いていたい。すべての暗黒、すべての空虚、すべての無力さを通してあなたをいつも見つめ、あなたの大きな光の中にとどまっていたい。

    おお私の愛する星よ、私が再びあなたの光の外に出ないように私を魅了して下さい。
    おお燃える愛の火、聖霊よ、どうか私の魂の中にみことばの一つのご託身を行って下さい。私が主のご人生の延長となり、主が私のうちにその奥義を新たに生きることがお出来になりますように。
     おお御父よ、あなたのあわれな被造物をかえりみてください。あなたの陰で私をおおい、あなたの心のよろこびである御子だけを私のうちにお眺めください。
    おお聖三位、私のすべて、わたしの至福、無限の孤独、私を沈める涯しない淵よ、私は犠牲として、あなたにこの身をお渡しします。あなたの光明の中で、あなたの限りない偉大さを拝する日まで、私があなたの中に沈むことができるように、私の中にあなたをお沈めください。」                                   
SMC

2023年5月16日火曜日

神の母聖マリア



          5月はマリア様の月と言われています。いくつかのマリア様の祝日があるので、皆さんは喜んでロサリオを何度もよく祈るでしょう。本当に素晴らしいことです。聖母に祈る中で、御復活節の終わりに他の大切な祝日の準備のために、マリア様に祈ります。例えば、「聖霊降臨」の祭日のために心の準備をすることは聖母もお手伝いしたいと思います。結局、マリア様は聖霊に満ちた聖母と呼ばれますが、彼女は私たちにも聖霊による深い献身を求められるのです。
          来月は、「キリストの聖体」の祭日、この準備も手伝いたいのです。マリア様は「聖体の聖母」とも呼ばれています。ベネディクト16世はマリア様を「聖体の生きた『幕屋』」と呼んでいます。マリア様は、聖霊の助けによって、御聖体の前でどのように崇拝し、祈るかを教えています。聖母に、私たちを御心に近づけるよう導いてくださるようお願いしましょう。

   

 素敵な祈りは「アヴェ・マリス・ステルラ 」。ご存知ですか。きれいな歌と祈りです。今月は聖母のお力添えに感謝して、このお祈りをしましょう。

「アヴェ・マリス・ス

めでたし、海の星

いと優しき神の御母

かくて、常に乙女なる

祝福された天の扉


めでたしの言葉を

ガブリエルの口より受け

我らに平和を与えたまえ

エヴァの名を変えられて


罪の鎖より解放し、盲人に光を与え、

我らの悪を去らせ、すべて良きものを与えたまえ

汝、御母なることを示したまえ、

汝を通じ、救いのため生まれしイエズスが祈りを聞き給うよう

霊妙にして、何にもまして柔和なる乙女よ、

罪の赦しにあって、我らをも柔和で清らかとなし給え


榮光あれ、父なる神に

至高の王たるキリストに

そして聖霊において

の神に栄誉あれ

アーメン


SMH