皆さま、
新年あけましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりましてありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
グレッチオの馬小屋の800周年記念 全免償
教皇フランシスコが聖フランシスコのグレッチオの馬小屋の800周年記念に際して、すべての信者たちに次のことを定めました。
「信者の霊的刷新を促し、恵みの生活を増やすために、聖座は、2023年12月8日(聖母マリアの無原罪の御宿りの祭日)から2024年2月2日(主の奉献の祝日)まで、世界中のフランシスカン家族に委託されている教会を訪れるすべての信者に、全免償を与えることにしました。馬小屋の前で祈りの一時として留まることで、信者は通常の条件で免償を受けることができます。同じように、病人や身体的に参加できない人も、苦しみを主にささげたり、敬虔な修行を行ったりすることで、免償の恩恵にあずかることができます。」
こちら札幌マリア院の聖堂で全免償が受けられます。条件としては、赦しの秘跡・ご聖体拝領・教皇様のために「使徒信条、主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱」を唱えることです。
教会が与えられたお恵みをたっぷり味わい、全免償を頂きましょう!SMT
この時期、美しいクリスマスの飾りがたくさんあります。それらはクリスマスの意味を思い出させてくれます。最も重要なもののひとつがクリスマスの馬小屋です。最も明確で理解しやすいです。クリスマスはイエスの受肉を祝うものです。
誰がこの伝統を始めたかご存知だろうか?アッシジの聖フランシスコで した。実は今年は、最初の降誕シーンから800年目にあたります。 聖フランシスコの生前、共同体に加わったフランシスコ会士チェラーノのトマスは、この行事の歴史を記しています。以下は彼の言葉である:
ここで、フランシスコが栄光に輝く帰天の3年前、すなわち1223年、私たちの主イエス・キリストの御降誕の日に、グレッチオという小さな村で行ったお祝いを思い起こし、これを心から記念しなくてはなりません。この村に、ヨハネという人が暮らしていました。その生活ぶりは、よい評判を上回る立派なものでした。聖フランシスコは彼を特別、心にかけていました。ヨハネはこの地方で高い評価や名声を受けていたにもかかわらず、生まれもった高貴さを軽んじ、心の気高さを追い求めていたからです。聖フランシスコは、よくそうしていたように、主の御降誕の2週間ほど前、グレッチオのヨハネを自分の元へ呼んで、こう言いました。もし、私たちがグレッチオで、間近に迫った主の祝日を祝うことをあなたが望むなら、急いで行って、私が言う通りに、心をこめて用意を整えていただきたいのです。私はベトレヘムでお生まれになった幼子を思い起こしたいのです。同時に、そのお方が飼葉桶に 眠っている様子、牛やロバがそばにいて、干し草の上に横たえられ、すでに幼子の時から味わわなければならなかった、たいへんな苦しみをできる限り、この目で間近に見たいのです。善良で誠実なその人は、これを聞くと、急いで出かけて行き、言われた場所に聖なる人が命じた通りのものをすべて 用意しました。喜びの日が近づき、歓呼の時がやって来ました。あちこちの共同体から 、兄弟たちが呼び集められました。近くに住む男女がそれぞれの仕方で、ろうそくや松明を心躍らせて用意しました。きらめく星によって、長い歳月を照らしてきたこの夜を明るく照らすために、彼らはろうそくや松明を用意しました。最後に、神の聖なる人、フランシスコがやって来て、すべてが整えられているのを見ると満足そうにしていました。そこには飼葉桶が用意され、干し草が敷かれ、牛やロバが連れて来られていました。そこでは、単純であることが尊ばれ、貧しさがあがめられ、謙遜がほめたたえられています。グレッチオは新しいベトレヘムになるでしょう。夜は昼のように明るく、人間と動物を照らしていました。人々が押し寄せ、この新たな神秘を前に新鮮な喜びで満たされていました。森が人々の声で鳴り響き、岩がその喜びにこだましました。兄弟たちが歌い、主にふさわしい賛美を捧げると、夜は途切れることなく、喜びの歓声をあげました。神の聖なる人は飼葉桶の前に立つと、敬虔な思いに打ち震え、この上ないあふれるほどの喜びから、深く心を動かされ、溜め息をつきました。飼葉桶を前にして、ミサが捧げられました。司祭はこの時、予期せぬ慰めを味わいました。神の聖なる人は、耳に心地よく響く声で聖福音を歌い上げました。彼の声は力強く、柔らかで、澄んでいてよく通り、聞く人を皆、主への賛美へと誘いました。…その時、ある善良な人がすばらしい幻を見たのです。彼が飼葉桶に横たわる生命のない小さな子どもを見つめていると、神の聖なる人が 近づき、ぐっすりと 眠っている子どもを起こすように見えました。幼子イエスが大勢の人々の心から忘れられていたことを考えるなら、この幻も全く不適当とは言えません。イエスは恵みによって、ご自分の聖なる僕、フランシスコを通して再び蘇られ、その人々に生き生きとした印象を刻んだのです。この夜の祝祭が終わりを迎えると、居合わせた人々は聖なる喜びをたずさえて家路につきました。
この物語は長いですが美しいです。今年のクリスマスは、幼子イエスをゆっくり眺めましょう。喜びと平安に満たされますように。
9月に入会した志願者に好きな聖人を3人挙げてもらいました。
シスターマリア
1.パドアの聖アントニオ(フランシスコ会)
困ったときすぐに助けてくれる。
ベトナム人の友人が日本で2か月間失業していた時、聖アントニオに祈ったら3日間で仕事を見つけることができた。
2.マザーテレサ
自分自身、看護師なので好きです。
3.聖ヨセフ・クぺルチノ(フランシスコ会)
シスターテレジア
1.マルティン・ポレス(ドミニコ会)
病人の為、良く祈った。自分の食べ物が少ないのに他者にも食べさせた。
動物とも話せる。ネズミにも自分の食べ物を分けた。
2. レ・ティ・タン・デ(1781~1841)
ベトナム中部の主婦。キリスト教迫害時代に司祭をかくまったが、密告者によって司祭と共に捕まり、広場に連行される。棄教させる為たくさんの蛇が送られ、かまれて血だらけになった。子供たちには「泣かないで」、「お母さんが十字架を背負えるよう祈ってね」と言い、最後には水も食糧も与えられず餓死した。
1988年6月19日列聖
3. 聖モニカ
皆さんはどんな聖人が好きですか
私は小学2年生の夏休みに、教会に一泊したことがあります。その晩、港で行われた花火大会を皆で見に行きました。帰り道を一緒に歩いた神父様が、「僕は子どもの頃、体が弱くて、勉強も苦手だったの」と話してくださいました。「尊敬されている神父様が、そうだったなんて」と驚いたことを覚えています。子どもを相手にこのように打ち明けてくださった神父様には、その後もずっとお世話になりました。
それから15年後の夏の出来事です。ある神父様はミサで福音朗読を終えると、こうおっしゃいました。「皆さん、こんな暑い日に来てくださって、長い話を聞くのもたいへんでしょうから、今日は短くします。」と。そして、「地獄はもっと暑いです。」と一言だけ話されると、神父様は席に着かれました。一瞬、戸惑いました。教会で地獄や煉獄という言葉を耳にすることはほとんどなくなりましたが、時々、この時のことを思い出します。
故郷の教会には、今もつながりを感じています。祈りを通して支えてくださる方々に感謝しています。
10年前のこの時期、私は巡礼の機会をいただいて、各地の教会や聖人ゆかりの地に足を運んでいました。聖母マリアや聖人に取り次ぎを求めて、大勢の人々が真剣に祈りを捧げていた姿は今も忘れられません。祈りの雰囲気を味わう中で、喜びや恵み、困難や苦しみ、どんなことも決して分かたれたものではないということに安心を感じました。これは、周りの祈る人々の中に、私がそれまで見てきたことでもありました。巡礼を通して得たこの安心感は、今も私の支えとなっています。 SMV
| 巡礼で訪れたドイツ、ヘーデの聖母子像 |