私は小学2年生の夏休みに、教会に一泊したことがあります。その晩、港で行われた花火大会を皆で見に行きました。帰り道を一緒に歩いた神父様が、「僕は子どもの頃、体が弱くて、勉強も苦手だったの」と話してくださいました。「尊敬されている神父様が、そうだったなんて」と驚いたことを覚えています。子どもを相手にこのように打ち明けてくださった神父様には、その後もずっとお世話になりました。
それから15年後の夏の出来事です。ある神父様はミサで福音朗読を終えると、こうおっしゃいました。「皆さん、こんな暑い日に来てくださって、長い話を聞くのもたいへんでしょうから、今日は短くします。」と。そして、「地獄はもっと暑いです。」と一言だけ話されると、神父様は席に着かれました。一瞬、戸惑いました。教会で地獄や煉獄という言葉を耳にすることはほとんどなくなりましたが、時々、この時のことを思い出します。
故郷の教会には、今もつながりを感じています。祈りを通して支えてくださる方々に感謝しています。
10年前のこの時期、私は巡礼の機会をいただいて、各地の教会や聖人ゆかりの地に足を運んでいました。聖母マリアや聖人に取り次ぎを求めて、大勢の人々が真剣に祈りを捧げていた姿は今も忘れられません。祈りの雰囲気を味わう中で、喜びや恵み、困難や苦しみ、どんなことも決して分かたれたものではないということに安心を感じました。これは、周りの祈る人々の中に、私がそれまで見てきたことでもありました。巡礼を通して得たこの安心感は、今も私の支えとなっています。 SMV
巡礼で訪れたドイツ、ヘーデの聖母子像 |
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