9月14日は十字架称賛の祝日でした。イエスさまは私たちに、「自分の十字架を背負って従いなさい」と言われました。
あなたにとって十字架とは何でしょうか。嫌なものや嫌いなもの? あるいはつらいものでしょうか?
私は十字架を背負う人とすれ違ったことがあります。
何年も前のある暑いお盆の日、私はお昼の準備のために車で買い物に出かけました。その日はファストフードにしようと、人数分のハンバーガーとシェイクを買って帰る途中でした。そして運転していたときに見たのです、十字架を背負うその人を。その男性は大変やせていて、健康そうには見えませんでした。むしろ病的にやせ細っているほどでした。
なのにその人は両手にたくさんの食材が入った買い物袋を持って、一生懸命に歩いていたのです。その場所はスーパーマーケットからかなり離れていました。つまり彼は重い荷物を持って、長い距離を歩いていたのです。
私が引きつけられたのはその人の表情でした。彼は嬉しそうだったのです。生き生きとした目をして、口元はほほえんでさえいるようでした。その人は家に帰ったら、彼にとって大切な人のためにごちそうを作るつもりなのだ、と私はとっさに思いました。大切な人の喜ぶ顔を思い浮かべながら、重い荷物と自分の病気を運んでいるのだ、と。
そのとき私はキリストを見た思いがしました。十字架を背負って歩まれるイエスさまのようだ、と。
イエスさまは私たちを愛して、私たちの救いのために重い十字架を背負われました。その苦しみは私たちがイエスさまと一緒に食卓をかこむためだったのです。イエスさまは私たちの顔を思い浮かべながら、十字架を背負って歩かれていたのです。
大切な人の喜ぶ顔を思い浮かべることができたなら、自分の十字架を背負ってイエスさまに従うことは、喜びに変わるのではないでしょうか。いやなことや嫌いなことでさえ、喜びに変わるのではないでしょうか。嬉しさや満足感がもっともっとあふれ、まわりの人たちに対して自然に優しくなれるということなのではないでしょうか。
もう何年も前の、今でも心に残っている印象的な出来事でした。
(SMG)
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