私が奉献生活への呼びかけを最初に感じたのは、大学生のころでした。当時私は藤女子大学というカトリック大学に通っており、そこにまだ何人かいらしたシスター方の姿を見て、自分もまた神様に仕える生活をしたいと思ったのがきっかけでした。
とはいえ、大学に入学してまもなく北海道大学のクラーク聖書研究会に通うようになり、大学2年生のころに洗礼を受けたのはプロテスタント教会においてでした。その教会には5年間通いましたが、自分のなかで、「日本だけでも200以上のプロテスタントの教団教派があり、どれがいったい正しいのだろう」という疑問が日増しに大きくなっていきました。それならいっそのこと、「宗教改革」によって教会が分かれてしまう前の「原点」に戻ろうと考えて、カトリック教会への転会を考え始めました。
シスターになりたいという望みを最初に抱いたのは大学4年生のころで、当時私はまだプロテスタント教会に通っていました。大学の研究室で週に一度、「聖書を読む会」を開いていたシスター・コロナ奥山わか子先生にその望みを打ち明けたところ、「では、あなたはまずカトリックに改宗しなければいけませんね」とニコニコしながらもっともなことをおっしゃいました。
そこで、高校生のころ政治経済を教わった先生が、バリバリのマルクス主義者からカトリックに「転向」した人であることを思い出し、その先生に手紙を書いて、北十一条教会のミサに連れて行ってもらうことになりました。しかし初めて足を踏み入れたカトリック教会は、私が通っていたプロテスタント教会とはまったく違っていました。「ミサでロウソクを使うの? ご灯明?!」「聖母マリアや聖ヨセフの像がある。これは偶像崇拝だ!」などなど、カトリックに惹かれる一方で反発もまたありました。しかし若林神父様から一対一で入門講座をしていただき、最初に反発を感じたことも年月とともに解決していき、「ふうん、マリア・マグダレナという洗礼名がほしいのですか? 彼女は美人だったそうですが、いいんですか?」と言われながら、その聖人から洗礼名をいただいて、人生で二度目の洗礼を受けることになりました。
ちょうど大聖年にあたった2000年の復活徹夜祭での洗礼式には、先のシスター・コロナと、英文科でお世話になったシスター・マルグリット永田淑子先生が来てくださいました。ミサのあと、私がお二人のあいだに立って記念写真を撮っているのを見て、「あなたも将来シスターになるかもしれませんね」とある男性が言いました。はたして彼の「予言」はその二年後に実現することになります。
こうして一歩、また一歩と奉献生活に近づいていきましたが、もちろん迷いもたくさんありました。結婚を考えたこともあるし、制約の多い生活への恐れもありました。しかしこの世のすべては過ぎ去っていきます。熱心にライブに通ったロックバンドにも飽き、その次に夢中になったK-1(キックボクシング)もビデオで試合を見つくして、あとに残ったのはむなしさだけでした。
ふしぎな体験をしたのはそのころです。ある日の午後、いつものように飼い犬の散歩をしていて、目の前には山、眼下には高速道路が見えるところにさしかかりました。そのときふと、すべての風景が遠ざかっていき、「いま」「ここに」存在している「自分」の輪郭をくっきりと感じたのです。あの感覚はとうてい言葉で説明できるものではなく、「自分の実存を感覚的に感じた」などと、言葉を重ねれば重なるほどそらぞらしくなっていきます。
「取って読め 取って読め」 (Tolle lege, tolle lege) と子供たちが歌うのを聞いて、聖アウグスティヌスは聖書を手に取って読み、回心しました。
私はヨイチという変な名前の犬を散歩しているとき、日常生活のただ中に大きな亀裂が入り、目の前に存在の根源が立ち現れてくるような体験をして、すべての迷いが吹っ切れました。
翌日私は今の修道会に電話をかけて、管区長と召命担当者に面会する約束を取りつけました。
2月2日はおさなごキリストが神殿に奉献されたことを記念する祝日です。
この日はまた、世界奉献生活者の日でもあります。
「奉献生活者」というと、なんだか生まれたときから清らかな生活を送ってきた人たちの集まりと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ロック音楽やキックボクシングを通して人生のむなしさを知った人もいるのです。(SMP)
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| 2011年の復活の主日に母が手稲カトリック教会で受洗 洗礼名 ハンガリーの聖エリザベト |

















