2022年11月19日土曜日

王であるキリスト

 教会暦年の最後の日曜日は「王であるキリスト」の祭日です。

本修道会のドイツ本部の教会には「王であるキリスト」に捧げられて、「王であるキリスト」

の大きなモザイクがあります。


  「王笏を手に、玉座に座しておられる方が私たちに語りかけておられる。

  わたしは主である。

  わたしは天の栄光のうちに住み、

  神聖な輝きを受けて光を放つ。

 わたしは宇宙に君臨し、

  人類を支配し、教会を統治し、

  修道会を治める。

  わたしは心の王であり、あなたたちの主である。

  わたしは権力ある者をその座から降ろし、

  身分の低い者を高く上げ、

  飢えた人を良い物で満たし、

  富める者の手を空しくしてかえす。

   わたしを求める者は、見出し、

  わたしに扉を開く者は、入ってその中にとどまり、

  わたしにより頼む者は、見捨てられることがない。

 わたしは救い主、

  あなたたちを見つめ、祝福し、

  あなたたちと共にいて、赦し、強め、聖なるものとする。

   わたしはあなたたちを愛する。

  わたしは主であり、救い主である。」     

                                                            (ヨハネ・ブリンクマン神父様)  SMT



2022年10月25日火曜日

「世界宣教の日」

 


10月23日に祝われる「世界宣教の日」のメッセージで、教皇様は「キリスト者は皆、キリストの宣教者、証人となるように召されています。だからキリストの弟子たちの共同体である教会には、キリストを証して世界を福音化する以外の使命はありません」-省略-

 教皇様はメッセージで、キリストを証ししなさいという呼びかけで始まる三つの重要な「弟子たちの生活と宣教の基盤」についてこう考察する。

1.福音を延べ伝え生き方で証しする

「事実、主イエスが弟子たちを二人一組で宣教に送り出したのは偶然ではありません。キリスト者がキリストを証しすることには何よりも共同体的な性格があります。だからこそ宣教を行うには、小さなものであったとしても、共同体の存在が不可欠なのです。」

「キリスト者の生き方の見本とキリストの告知は一体です。一方が他方に役立ちます。宣教者となるため、すべての共同体はこの二つの肺で呼吸しなければなりません。」

 2.世界の福音化

「キリストの教会は、かつても今も、これからも、地理的・社会的・実存的に新たな地平へと、そして【境界線の外】にある場所や人間の境遇へと、キリストとその愛をあらゆる民族、文化、社会的境遇の人すべてに証しするため、常に【出かけていく】のです」

 3.聖霊によって強められ、導かれる

教皇様は「疲れたり、やる気がなかったり、途方に暮れていたりするときにこそ」、祈りを通じて「聖霊によって強められ、導かれる」と教える。

「私は、すべてにおいて宣教者である教会を、そしてキリスト共同体における宣教活動の新たな時代の訪れを夢見続けています…そうです。教会の私たち皆が、洗礼によって既にそうである者、主の預言者、証人、宣教者でありますように。聖霊の力によって、地の果てに至るまで」                             

(カトリック新聞 抜粋) SMC

2022年9月25日日曜日

天使

  初秋の季節になりました。よかった!秋の紅葉と菊がきれいな時期がきました。しかしそ
の間でも、世界はいろいろな問題が起こっています。怖くて心配な時代です。けれども神
様は私たちに毎日たくさん助けて下さいます。例えば人々に大天使と守護の天使を与えて
下さいました。9月29日は聖ミカエル聖ガブリエル聖ラファエル大天使の祝日です。
10月2日は守護の天使の祝日です。全ての天使たちは皆が天国に行くことを望んで
います。彼らは私たちを神様の道に導いて下さいます。神様を信頼しましょう!
これは大天使聖ミカエルへの祈りです:

大天使聖ミカエル、

日々の戦いに私たちを守り、

悪魔の力に勝つようお守りください。

神が彼に命令をお下しになることを

伏してお願いいたします。

ああ、聖なる大天使よ、

霊魂を損なおうとして働いているサタン、

その他の悪魔を、

神の御力によって退けてくださいますように。

アーメン。



SMH


2022年8月13日土曜日

一日黙想

 

皆さんお元気ですか?一日ですが黙想会を計画いたしました。
神父様が来られますので、ぜひご参加ください。
お待ちしております。

SMB

2022年7月2日土曜日

聖マグダラのマリア

  プロテスタント教会からローマ・カトリック教会に改宗するとき、勉強を教わっていた司祭から、「洗礼名は何を希望しますか」と問われ、私は迷わず聖マグダラのマリアをあげました。

 マグダラのマリア(マリア・マグダレナ)は、聖書に出てくる「罪深い女性」と同一視され、回心した元娼婦というイメージが長く続きました。左の絵は、バロック期に活動したイタリア人画家グイド・レーニによる作品(1635年)で、題名もずばり「改悛するマグダラのマリア」です。この絵のように、マリア・マグダレナを描いた絵は肌を大きく露出しているものが多く、中にはジュール・ジョゼフ・ルフェーブルの「洞窟のマグダラのマリア」のように全裸で描かれているものすらあります。こうしたキリスト教絵画における伝統の影響もあり、「回心した元娼婦」のイメージはなかなか払拭されなかったのですが、ようやくマリア・マグダレナと「罪深い女性」は別人であるとされるようになったのは、第二バチカン公会議(1962-65年)以降のことでした。

 聖書の記述によると、マリア・マグダレナはイエスに7つの悪霊を追い出していただいたあと、他の女性たちとともにイエスと弟子たちに奉仕していました(ルカによる福音書8章1-3節)。7つの悪霊とはそもそも何なのか、またどのような経緯でそれらに取り憑かれ、そしてイエスに追い出してもらったのか、聖書には何も書かれていません。

 これは私の想像にしかすぎないのですが、7つもの悪霊に取り憑かれていたと記述されていることから、マリア・マグダレナは肉体的にも精神的にも決して健康ではなかったのでしょう。若くしてすでにさまざまな不調に悩まされ、そのため家事や人づきあいに支障をきたしていたかもしれません。聖書では7という数が「完全」を表していることも気になります。肉体的、精神的に大きな問題を抱えていた彼女は、霊魂の痛みも抱えていたことでしょう。まわりの人々は彼女に同情こそすれ、その霊魂の痛み、スピリチュアルな痛みまで理解してくれる人は、はたしていたでしょうか。

 マリア・マグダレナの抱えていた深い孤独と苦悩を癒してくださったのがイエスだったのです。聖書では、イエスさまはしばしば病人たちの体に直接触れて病気を癒されています。当時のユダヤ人社会では、病気は罪を犯した結果だとみなされていただけに、罪深い人々とされていた病人たちは、イエスさまに温かな手で触れていただき、体だけではなく心まで、傷ついた霊魂の奥深くまで癒されたことでしょう。マリア・マグダレナもまた7つの悪霊を追い出していただくとき、イエスさまに直接触れていただくか、あるいは魂の奥底までしみとおるような深いまなざしで見つめられたに違いありません。彼女にとって、自分を苦しめていた7つの悪霊を追い出していただいたことは、霊魂の深みまで癒され、解放され、そして新たに生まれ変わる体験でもあったのです。

 だからこそマリア・マグダレナは誰よりも情熱的にイエスさまを愛しました。聖書には、イエスが十字架の上で亡くなられた翌日、彼女が朝早くまだ暗いうちに墓に行ったと書いてあります。死者たちが葬られている墓というのは、今でも当時でも決して好き好んで行くところではないでしょう。しかも彼女はまだ夜が明けきらぬうちに墓に行ったというのですから、いてもたってもいられなかったのでしょう。さらには、墓から石が取り除けられているのを見て驚き、イエスの一番弟子のペトロとヨハネに知らせに行ったのに、この二人は見には来たものの、ふしぎだ、ふしぎだと言いながら、結局帰っていってしまったのです。しかしマリアはそこにとどまりました。そして、復活したイエスご自身と出会ったのです。イエスの一番弟子のペトロと、愛弟子ヨハネよりも先に! 愛の勝利です!

 マリア・マグダレナはそこで感極まり、なんとイエスさまにしがみついてしまいます。福音書の中には、イエスの衣に触れた女性の例はありますが、大胆にもイエスの体にしがみついたのはこのマリア・マグダレナだけです。そのときに発せられたイエスさまの言葉「私にすがりつくのはよしなさい」(Noli me tangere)は、キリスト教絵画のモチーフになるほど有名な言葉になりました。イエスさまは情熱的なマリアの行動に驚きつつも、案外苦笑していたかもしれませんね。

 7月22日は聖マグダラのマリアの祝日です。私たちもマリア・マグダレナにならって、イエスさまを心から情熱的に愛したいものです。
(SMP)



 

2022年6月20日月曜日

小さな祈りの小さい話

 


お祈りは、神様との親密な対話といわれることがあります。今回は少し自分のことを振り返ってみたいと思います。


「おはようございまーす」  「おつかれさまでした」  「いただきます!」  「おやすみなさーい」


などなど、誰かと会ったときに交わす挨拶や食事の前に常識的に、無意識的に言うことばがあります。その一つ一つはたわいのない短い単語ですが、人間関係をつくったり、保ったりするのにとっても大切なコミュニケーションのひとつですね。

 私がシスターになる前に、「そうだ、神様に毎日お祈りしなくっちゃ!」と初めて意識して始めた 小さな祈りがありました。

「父と子と聖霊のみ名によって、アーメン。おやすみなさい」 です。

今思い出すと恥ずかしい(笑)。幼く、短すぎて到底お祈りとは言えないしろものですが、毎晩満足してとなえ、不思議に寝つきがよくなっていった気がします。

今思うと、神様に向けて小さなメッセージを発信しているつもりだったのでしょうか?

 それが口癖のようになって、ついつい十字をきったあとに「おやすみなさい」まで言ってしまいそうになったことがありました。


「あなたの一番好きなお祈りは何ですか?」

と尋ねられたことがありました。さてなんと答えましょうか?そのときは思いついたお祈りを答えてしまいましたが、後で落ち着いてよく考えてみると本当は おかしいけどやっぱり 寝る前の祈りと  食事の祈りでした。

一番身近で毎日となえていて、無意識のうちに感謝の念がこもります。

人は自分ひとりだけでは生きていけないものです。自分を受け入れてくださった人、一緒に寄り添っていてくださった人に感謝、食べ物を育てたり運んだり調理して、口にすることが出来るようにしてくださった人に感謝。そのように取り計らってくださる神様に感謝、そして、そう気づかせてくださる神様に感謝です。

 世界では、そしてわたしたちの身近なところでも、安心してこの二つの祈りをとなえるのが難しくなっている多くの人々がいます。おそろしい戦争や暴力による破壊、貧困や環境の悪化などによる飢餓で多くの人々が苦しみ悲しんでいるのです。住むことも食べることもままならない生活を強いられている多くの人々がいます。

 一番好きなお祈りに、小さいけれど大切なお祈りを加えることにします。

「私が何でも誰とでも分かち合うことが出来ますように」 と、

あなたはどんな小さな祈りを持っていますか?

SMG