2022年7月2日土曜日

聖マグダラのマリア

  プロテスタント教会からローマ・カトリック教会に改宗するとき、勉強を教わっていた司祭から、「洗礼名は何を希望しますか」と問われ、私は迷わず聖マグダラのマリアをあげました。

 マグダラのマリア(マリア・マグダレナ)は、聖書に出てくる「罪深い女性」と同一視され、回心した元娼婦というイメージが長く続きました。左の絵は、バロック期に活動したイタリア人画家グイド・レーニによる作品(1635年)で、題名もずばり「改悛するマグダラのマリア」です。この絵のように、マリア・マグダレナを描いた絵は肌を大きく露出しているものが多く、中にはジュール・ジョゼフ・ルフェーブルの「洞窟のマグダラのマリア」のように全裸で描かれているものすらあります。こうしたキリスト教絵画における伝統の影響もあり、「回心した元娼婦」のイメージはなかなか払拭されなかったのですが、ようやくマリア・マグダレナと「罪深い女性」は別人であるとされるようになったのは、第二バチカン公会議(1962-65年)以降のことでした。

 聖書の記述によると、マリア・マグダレナはイエスに7つの悪霊を追い出していただいたあと、他の女性たちとともにイエスと弟子たちに奉仕していました(ルカによる福音書8章1-3節)。7つの悪霊とはそもそも何なのか、またどのような経緯でそれらに取り憑かれ、そしてイエスに追い出してもらったのか、聖書には何も書かれていません。

 これは私の想像にしかすぎないのですが、7つもの悪霊に取り憑かれていたと記述されていることから、マリア・マグダレナは肉体的にも精神的にも決して健康ではなかったのでしょう。若くしてすでにさまざまな不調に悩まされ、そのため家事や人づきあいに支障をきたしていたかもしれません。聖書では7という数が「完全」を表していることも気になります。肉体的、精神的に大きな問題を抱えていた彼女は、霊魂の痛みも抱えていたことでしょう。まわりの人々は彼女に同情こそすれ、その霊魂の痛み、スピリチュアルな痛みまで理解してくれる人は、はたしていたでしょうか。

 マリア・マグダレナの抱えていた深い孤独と苦悩を癒してくださったのがイエスだったのです。聖書では、イエスさまはしばしば病人たちの体に直接触れて病気を癒されています。当時のユダヤ人社会では、病気は罪を犯した結果だとみなされていただけに、罪深い人々とされていた病人たちは、イエスさまに温かな手で触れていただき、体だけではなく心まで、傷ついた霊魂の奥深くまで癒されたことでしょう。マリア・マグダレナもまた7つの悪霊を追い出していただくとき、イエスさまに直接触れていただくか、あるいは魂の奥底までしみとおるような深いまなざしで見つめられたに違いありません。彼女にとって、自分を苦しめていた7つの悪霊を追い出していただいたことは、霊魂の深みまで癒され、解放され、そして新たに生まれ変わる体験でもあったのです。

 だからこそマリア・マグダレナは誰よりも情熱的にイエスさまを愛しました。聖書には、イエスが十字架の上で亡くなられた翌日、彼女が朝早くまだ暗いうちに墓に行ったと書いてあります。死者たちが葬られている墓というのは、今でも当時でも決して好き好んで行くところではないでしょう。しかも彼女はまだ夜が明けきらぬうちに墓に行ったというのですから、いてもたってもいられなかったのでしょう。さらには、墓から石が取り除けられているのを見て驚き、イエスの一番弟子のペトロとヨハネに知らせに行ったのに、この二人は見には来たものの、ふしぎだ、ふしぎだと言いながら、結局帰っていってしまったのです。しかしマリアはそこにとどまりました。そして、復活したイエスご自身と出会ったのです。イエスの一番弟子のペトロと、愛弟子ヨハネよりも先に! 愛の勝利です!

 マリア・マグダレナはそこで感極まり、なんとイエスさまにしがみついてしまいます。福音書の中には、イエスの衣に触れた女性の例はありますが、大胆にもイエスの体にしがみついたのはこのマリア・マグダレナだけです。そのときに発せられたイエスさまの言葉「私にすがりつくのはよしなさい」(Noli me tangere)は、キリスト教絵画のモチーフになるほど有名な言葉になりました。イエスさまは情熱的なマリアの行動に驚きつつも、案外苦笑していたかもしれませんね。

 7月22日は聖マグダラのマリアの祝日です。私たちもマリア・マグダレナにならって、イエスさまを心から情熱的に愛したいものです。
(SMP)



 

0 件のコメント:

コメントを投稿