2019年7月14日日曜日

Ave Maria



フラ・アンジェリコのお告げの絵をご存知でしょう。札幌マリア院の玄関ホールにもかかっています。実はそのフレスコの下にラテンゴで次のことが書いてあります。「この絵の前を通る時は『アヴェ』と祈ることを忘れないで。」
聖ベルナルドはおっしゃいました。「アヴェ・マリアを祈るたびに天国が笑い、天使が喜び、地が踊り、地獄が震え、悪魔が逃げます。」 力強い祈りでしょう。
聖ドミニコ・サヴィオは天国に召されて20年後に聖ヨハネ・ボスコに現れました。ドン・ボスコはその出現について次のように語られました。
「ドミニコ、臨終の時に最高の慰めは何でしたか」と聞きました。「あなたが守られた貞潔でしょうか。」「いえ、それだけではありません。」「落ち着いている良心の喜びでしょうか。」「これは良いことですがもっと素晴らしいことがあります。」「天国への憧れでしょうか。」「違います。」「大勢の良い業の宝でしょうか。」「いえ、違います。」「じゃ、臨終の時何が支えになったでしょうか。」ドミニコは堂々と答えました。「最高の支えは救い主の力強いお母様の助けでした。皆に伝えて下さい。生きている間にマリア様を呼ぶことを忘れないように。」                                 S.M.T.

2019年6月1日土曜日


 6月は、カトリック教会では伝統的にイエスのみこころの月とされていますが、今回はあえて三位一体の神について書こうと思います。

 三位一体の祭日は、カトリック教会の暦では聖霊降臨の祭日の次の日曜日にあたります。

 三位一体というと、なんだか壮大すぎて、深遠すぎて、私たちの生活といったいどんな関係があるの?という気持ちにさせられます。けれども私は個人的に、三位一体の神というのは私たちが考える以上にもっと親しくたがいに交わり、そして私たちの毎日の生活のなかで私たちが考える以上にもっと身近に、そしてひそやかに働いていると信じています。

 三位一体のなかの御父は、ルカ福音書で語られている放蕩息子の父のように、私たちを痛むほどに愛される神です。私たちが神を忘れて毎日自分の意のままに生き、神のいない世界の中で笑い愉しみ、傷つき怒っているあいだ、父なる神は毎日家の外に出ては、遠い地平線の彼方を見つめ、えもいわれぬほどの痛みを心に感じながら待ち続けておられます。そして私たちが神なき世界の中で傷つき倒れ、ぼろぼろになった体をひきずってようやく神の前に帰ってきたとき、私たちが言い訳めいたことを口にするより先に私たちを深く抱きしめ、愛の懐へと招き入れてくださる方です。

 三位一体のなかの御子イエスは、聖アウグスティヌスが言ったように、私自身よりももっと私に近い方。親友以上に親しい友で(英語では、the closer friend than your closest friendとでもいうのでしょうか)、私たちがなにやらたくさん隠し事をして、いつもなんだか後ろめたくて、もじもじしている横で、なにもかもわかっているよ、だから大丈夫だよと微笑み、私たちの手にご自分の手を重ねて、私たちがおずおずと自分の言葉で語りだすのを静かに待っておられる方です。

 そして、三位一体のなかの聖霊。しばしば風にたとえられるように、私たちがなにか行き詰ってにっちもさっちもいかなくなったとき、私たちの心にささやきかけ、インスピレーション(inspiration. 文字通り、「息」を「吹き込んで」くださるのですね)を与えて、突破口を開いてくださる方。詩編の中に、「神は私を広いところに移された」という一節がありますが、たとえ八方ふさがりの密閉状態のなかにいても、聖霊はまるで風のようにどこからともなくするりと入り込んできて、私たちを解放してくださるのです!

 この記事にのせた絵は、アンドレイ・ルブリョフというロシア正教会の修道士が描いた聖画(イコン)で、皆さんもどこかで見たことがあるでしょう。詳しい解説は他に譲りますが、この絵は三位一体をあらわしていると言われています。一つのテーブルを囲んで三人が座り、彼らはお互いに見つめ合っているというよりも、ABを、BCを、CAを見ているようにもみえます。言葉も交わさずに。ここに三位一体の循環的な、よどむことのない静かな交わりを見て取ることもできるでしょう。

 私にとって、三位一体なる神の働きは、この三人の聖者のように決して押しつけがましくない、静かでひそやかなものなのです。(SMP)

2019年5月19日日曜日

マリア様




わたしのなすべきことは しずかにおだやかに
完全に満ちあふれるまでいっぽいにすることです
そして その味気のない水のような時間を
あなたはかつてガリラヤのカナでなさったように
濃いぶどう酒にかえて下さいるでしょう
あなたが私に下さった時間の中で
あなたが私にせよ。とおっしゃったことを
心静かに行うことできる恵みを
ただそれだけを。あなたからいただきたいのです

(ミッシェル・ワオスト)
SMG

2019年5月4日土曜日

一泊黙想会のご案内



一泊黙想会のご案内

すべてを神にゆだねて

日時 615日(土)2時受付
      616日(日)3時まで

場所  花川マリア院
    石狩市花川南35丁目25 ☎ 0133-73-8562
      
地下鉄南北線麻生駅 中央バス2番のりば
15または麻16(花川5丁目経由)花川南45丁目下車

講話 古里慶史郎 神父様(フランシスコ会 長崎修道院)
    マリア院シスターズとの分かち合い・聖体礼拝など
対象 18歳~50代までのカトリック独身女性
費用 3,000
申込み 6月5日(水)までに下記へお願いします。
札幌市北区北16条西2丁目120 
マリア院 Sr.マリア・テレジタ
             ☎ 011-747-9707 E-mailmaria-in@live.jp

2019年4月26日金曜日


教会の前で撮った子どもの頃の写真があります。神父様や友達と並んでいる私は両手に卵を握りしめていて、この日が御復活であったことがわかります。

御復活とクリスマスは特別な日でした。クリスマスには、普段では起きていることのない夜遅い時間にミサから帰ってきたことを覚えています。私の周りには教会へ通う友達は一人もいなかったのに、誰もがクリスマスを楽しみにしていました。

一方、御復活は教会の本当のお祝いのように感じていました。思い出されるのは、ロウソクの光と卵です。薄暗い聖堂で、緊張しながらロウソクを手にしていたことを覚えています。当時は、絵を描いた卵を教会へ持って行く習慣がありました。

聖書には、イエスの御遺体がおさめられた墓が空であったこと、復活したイエスに出会った弟子たちが、イエスの復活を力強く伝える者となっていったことが記されています。
「わたしはいつまでも、あなたがたとともにいる」とイエスはおっしゃいました。この言葉は、この世を去った家族や親しい人々の言葉でもあると思います。思い出や祈りを通して私たちのなかに生き続け、私たちを見守っていると信じます。
(Sr.M.V)


2019年4月21日日曜日

アレルヤ!


ご復活おめでとうございます!アレルヤ!アレルヤ!


復活の続唱
 
キリストを信じるすべてのものよ
主の過ぎ越しをたたえよう
子羊は羊をあがない
罪のないキリストは罪の世に
神のゆるしをもたらされた
死といのちとの戦いで
死を身に受けたいのちの主は
今や生きて治められる
マリアよ私たちに告げよ
あなたが道で見たことを
開かれたキリストの墓
甦られた主の栄光
証しする神の使いと
残された主の衣服を
わたしの希望キリストは復活し
ガリレアにゆき 待っておられる
共にたたえ 告げ知らせよう
主キリストは復活された
勝利の王キリストよ
いつくしみを私たちに
アーメン アレルヤ