2020年6月14日日曜日

み心の信心

み心の信心について
イエス様は、シスター・マルグリット・マリー・アラコックに現れ、み心の信心を広め、
み心の祝日を定めるように願われました。それは1675年のことでした。シスターは
クロード・ラ・コロンビエール神父様に、イエス様の心の痛みと願いを話し、2人はこの
ことのために共に働きました。
ここにコロンビエール神父様の美しい祈りがありますので、皆様にご紹介いたします。

イエス、唯一の真の友、
私のすべての悪を
分かち持ち、背負い
悪を善に向かわせる秘訣をご存じの方。
あなたは悪をなだめる力に事欠かない。
私があなたへの愛を語るとき、
あなたは善意をもって私の声に耳を傾けてくださる。
いつでも、どこにいても、
わたしはあなたを見つけ、
あなたの方から遠ざかることは決してない。
私の居場所が変わっても、行く先々で、
わたしはあなたを探さずにはいられない。
あなたが私の声を聞き飽きることはなく、
わたしに幸せをもたらすことを喜びとしておられる。
あなたを愛するとき、
わたしはあなたから愛されていることを確信する。
あなたは私に善をもたらすことしかなさらず、
ご自分の善をいくら与えても
乏しくなることは決してない。
どんなに悲惨な状態にあっても、
この世のもっとも高貴なものも、
最も美しい精神も、
最も聖なるものでさえも、
私からあなたの友情を取り上げることはできない。
私たち人間を他の全ての友と決別させる死は、
あなたと私を結び付けるものとなる。
過労による苦労や、
運命的な不幸さえも
あなたと私を切り離すことはできない。
むしろ、そういう状況において、
私はあなたの存在を見いだし
この上ない喜びを感じ、
あなたは私にとって最も身近な方となる。
あなたは信じられないほどの忍耐をもって
私の欠点、
不誠実さ、
忘恩までも
耐えてくださる。
あなたをあれほどまで傷つけた忘恩さえも。
あなたは、いつでも
私を受け入れる準備をして待っていてくださる。
私があなたのもとに戻りさえすれば。



いかがでしょう、心が安まりませんか?イエスはいつでも待っていてくださいます。
あなたの声を聞きたいがために。
今年の聖心の祝日(6月19日)はもちろんのこと、月の初めの金曜日、毎週の金曜日に特別、時間を取ってイエス様の声に耳を傾けてはいかがでしょうか。
イエス様はあなたと、時間を過ごしたいのです。

         Sr・B

2020年5月18日月曜日

5月は聖母マリアの月です


 

 五月は聖母マリアの月です。

 春になり、花々が咲き始めて、明るい陽射しが感じられ、まさしく
「マリアの月」にふさわしいですね。

 しかし、現在世界はコロナウィルスの蔓延によって、すべての人々が苦しみを味わっています。もはや人間の力を超えるできごとです。
 
 オーバーアマガウ村の再現ではないですが、皆でひとつになって祈ることが求められています。

 フランシスコ教皇の強い願いとともに、私たち、とくにクリスチャンは心をひとつにして祈りましょう。
 
 この苦しみには意味があり、イエス・キリストの苦しみをともに担われた聖母マリアの苦しみに合わせて、私たちも日々の苦しみを捧げていきましょう。

                                   SMJ

2020年4月20日月曜日

神のいつくしみ


神のいつくしみの主日

昨日は主の復活の八日目で、神のいつくしみの主日。お恵みの日でした。
神の慈しみが注がれ、恐れることはありません。現在、心配や不安が多い中で、
神が私たちと共におられることを忘れないように頑張りましょう。
毎年、ご復活の聖なる徹夜祭に復活賛歌を歌います。この賛歌は深い意味です。
全体をお読みなったことがありますか。下記に復活賛歌を載せます。
この困難な時に希望を願い祈りましょう。


いざ、高らかに喜び歌え、
み使いの天の群れよ。
いざ喜び歌え、神の奥義よ。
かくも偉大な王の勝利に、音高く鳴れ、
救(たす)霊(かり)を告げるラッパよ。

楽しめよ、かくも美わしい光に包まれた地よ。
永遠の王の輝きに照らされて、おぼえ知れ、
全地から暗やみの消え失せたことを。
あなたもまた喜びたまえ、かくも輝かしい光に いろどられた母なる教会よ、
なお、この聖堂も民の大いなる声にこだませよ。
かくも妙なる光の祭りに集まった、いとも愛する兄弟たちよ、
願わくはわたしと共に全能の神のおん慈悲をよびくだすように。
それは、なんの功(いさお)もないのにわたしをレヴィ人のうちに加えたもうた者が、
さやかなおん光をわれらに注いで、このローソクの賛美を申し分なく歌う力を与えたもうためである。
かれと共に聖霊と一体をなし、生きかつ治めたもう神であるおん子、われらの主イエズス・
キリストによりて。
まことにふさわしく正しく、当然で有益なことである、目に見えぬ神である全能の父、
およびそのおんひとり子であるわれらの主イエズス・キリストを、心と精神との熱烈を尽くして、
声高らかに賛美し奉るのは。
それはかれが、われらのため永遠の父に、
アダムの負債を返し、尊いおん血で、古い負債の証書を消したもうたからである。
実にきょうこそは、まことの小羊のほふられる、
過越しの祭りである。そのおん血によって、信徒の門柱(かどばしら)は祝されるのである。

これこそは主がかって、
われらの先祖であるイスラエルの子らをエジプトから導き出し、
足をぬらさずに紅海を歩ませたもうた夜である。
これこそは実に罪のやみが火の柱によってしりぞけられた夜である。
これこそはきょう、全世界においてキリストを信ずるものを、
世の犯罪と罪のやみとから離れさせ、
恩恵に返し、聖者に加える夜である。
これこそはキリストが死のかせをくだき、
勝利者として冥府(よみ)からのぼりたもうた夜である。

なぜなら、あがないによってわれらに救いが与えられなかったならば、
生まれたのもわれらに無益であったであろうから。
ああ、奇(くす)しいかな、われらに対する主のおん慈しみは、

ああ、量りがたいかな、主の愛の恵みは、
それは主が奴隷を救おうと、おん子をわたしたもうたからである。
ああ、アダムが罪を犯したのは、まことに必要であった、それは、キリストのご死去によって、
絶やされたからである。
ああ、幸いな罪である、こういう気高い救い主を得るに値したとは。
ああ、実に幸いな夜である、ただこれだけがキリストの、
冥府(よみ)から帰り来たもうた時と時刻とを知ることができたとは。
これこそは、書き記して、
「夜は昼のように輝くであろう」とある。 
その夜である。それゆえこの夜の聖化は罪悪をはらい、罪を洗い去り、
倒れた者には無罪を、悲しむ者には喜びを返し与えるのである。
それは憎しみを追い払い、親しみを作り、権力をくじくのである。
この恵み豊かな夜に、聖なる父よ、
このたきものの夕のささげを受けおさめたまえ、これを聖なる教会は、
蜂の働きに作られた、このローソクのおごそかな奉献に、
主のしもべの手によって、主に備え奉る。
しかしわれらは今や神のみ栄えのため、
赤い火のともったこの光の柱の賛美を聞いた。
これは異なった部分に分かれては居るが、
分かれたために明るさを減ずることはない。
それは母である蜂が、このとうといともしびの材料とするために生んだ、
蝋のとけたのに養われるからである。
ああ、実に幸いな夜である、エジプト人を奪い、ヘブライ人を富ませたとは。
それは天上の物が地上の物と、神の物が人の物と、一つになった夜である。
それゆえ主よ、願わくはみ名の栄えのために、祝別されたこのローソクが、
この夜のやみを追い退けようと、たえず輝くように。
またこれが、かんばしい香りとして主によみされ、その光が天上の星に混じるように。
あけの星がなおその炎を見守りたもうように。
そのあけの星とは、私は言う、沈むことを知りたまわぬ者、冥府(よみ)から帰り来て、
明るく輝きつつ人類にあらわれたもうた者である。

ゆえに主よ、われらは主に願い奉る、主のしもべであるわれらにも、
すべての聖職者と主に忠実に仕える民にも、われらの教皇(お名前)
およびわれらの司教(お名前)と共に、ひとしく安らかな時を与え、
この喜ばしいご復活に当たり、絶えることのない保護をもってわれらをつかさどり、
治め、守りたもうように。

また権力をもってわれらを治める者をもかえりみ、主のおん慈しみとおん哀れみとの、
言葉に尽くせぬ賜物によって、かれらの思いを正義と平和とに導きたまえ。
それはかれらが主のすべての民と共に、地上の働きから天上のみ国に至るためである。
主と共に聖霊と一体をなし、生きかつ治めたもう神であるおん子、
このわれらの主キリストによりて。世々に至るまで。アーメン。

2020年3月17日火曜日

愛と奉仕の模範


「愛と奉仕の模範」
イエス、弟子たちの足を洗われる
聖書朗読
「 夕食の時であった。…(イエスは)食事の席から立ちあがって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「私のしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる。」と言われた。
…さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席について言われた。「私があなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを「先生」とか「主」とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」(ヨハネ13・2~7、12~15)

黙想
 宣教奉仕の生活は、弟子の足を洗うというイエスの行為を模範とします。宣教者は
「仕えられるためではなく仕えるために」(マルコ10・45)来た主の生活に密接に従う人です。イエスは自らの模範によって、弟子たちに愛と奉仕の宣教者としての姿を教えました。
同じように、宣教者たちも自分自身のキリスト教的生活の証と模範によって教えます。
足は動きを象徴します。宣教者は絶えずイエスの足跡に従い、遣わされる所へはどこへでも、どんな時でも行って奉仕する準備と決意ができている人です。しかし、イエスの足跡に従うことは容易ではありません。他の人の足を洗うために、多くの謙遜と犠牲が必要です。したがって宣教者は自分を捨て、十字架を背負い、イエスの足跡に従うのです(マタイ16・24参照)。
足を洗うという行為はしもべの身分や謙遜や犠牲だけでなく、神の無条件の愛をも
象徴しています。この愛は、私たちが本物の福音宣教者や伝達者となることを妨げるあらゆるものを洗い流します。
       「『宣教の神秘』宣教者の心をもってロザリオを祈る 神言修道会」より
SMC

フォード・マドックス・ブラウン


2020年3月4日水曜日

不思議のメダイ

みなさんは、ロザリオの最後の連につけられている小さな銀色のメダイのことをご存知ですか? マリアさまが刻まれていて「不思議のメダイ」と呼ばれているものです。
カタリナ・ラブレという聖人が、1830年フランスのパリのある夏の夜にマリアさまと直接お会いし、このメダイを身につけて祈るようにと教えられたのです。

180652日、フランスのブルゴーニュ地方、ファン・レ・ムティエという小さな村のラブレ家に、8番目の子供として、カタリナ・ゾエは生まれました。父は畑に出て、母は鳩の世話や牛の乳搾りをし、子供たちは両親から仕事やキリストの教えを学び、幸せに暮らしていました。けれどある日、母は体調を崩し、1815年に亡くなってしまいました。この時カタリナは 9歳。母に教わった“アヴェ・マリアの祈り”を唱え、聖母を母親代わりに慕うようになりました。成長したカタリナはシスターになりたいと父に告白しますが、猛反対を受けました。

しかし1830421日ようやくパリの愛徳姉妹会に入会し、その3ヶ月後の718日の真夜中、最初の聖母のご出現があったのです。

そのとき修練者だったカタリナ・ラブレは自分の名を呼ぶ子どもの声で目を覚まします。

「聖堂にいらしてください、聖母マリアが待っておられます」

カタリナは聖母マリアと出会い、このときに生涯の中で一番幸福な時間をすごしたのです。 聖母は左手で祭壇を指差して、こうおっしゃいました。

祭壇のもとにいらっしゃい。ここで祈り願う人々に、多くの恵みが与えられます

 そして、「神はあなたに使命を与えようとしています。この国には不幸が降りかかろうとしていますが、いつの時代にも大切な聖体に深い信仰をもって祈る人々には、多くの恵みが与えられるのです」とつづけられました

7月のご出現から4ヶ月経った1127日、カタリナの前に再び聖母マリアが現れました。地球の上に立ったその聖母は、足で蛇を打ち砕いています。そして十字架のついた黄金の 小さな地球を両手に持って、神に捧げていらっしゃるのが見えました。「この地球は全世界を、この国を、そして一人ひとりを表しています」とおっしゃる聖母の指輪からは、四方に輝くまばゆい光が放たれ、聖母を包み込みました。 やがて聖母はカタリナに「この光線は私に願う人々に注がれる恵みのしるしです」とおっしゃると聖母の周囲に『無原罪の聖マリア、あなたに寄り頼む私たちのためにお祈りください』という祈りのことばが見えました。また、小さな十字架のついたMの文字と、その下に二つの心臓をカタリナは見ました。その時聖母の声が響きました。「これをモデルにしてメダイをつくらせなさい。信頼をもってこのメダイを身につける人には、豊かな恵みが与えられるでしょう。」


 カタリナは信頼のおけるアラデル神父にこのことを打ち明けます。18326月に2000枚のメダイが刻まれました。
 ちょうどその頃、パリではコレラが流行し、多くの死者が出ていました。シスターたちはメダイを配り、聖母がカタリナに伝えた『無原罪の聖マリア、あなたに寄り頼む私たちのためにお祈りください』という祈りを繰り返すようにすすめました。すると、病気が回復する人が多く現れ、いつしかメダイは「不思議のメダイ(奇跡のメダイ)」と呼ばれるようになり、3年後には150万枚が刻まれ、ヨーロッパ中に広がりました。

カタリナは、アラデル神父以外には沈黙を貫いていたため、誰にも聖母と出会ったことを知られることはありませんでした。18761231日、無原罪の聖母を直観したカタリナの聖い霊魂は、微笑を浮かべながら、天に旅立ったのでした。沈黙を守り、人知れず、埋もれた生活を貫きました。
 1947721日、カタリナは教皇ピオ12世によって聖人の列に加えられました。
「不思議のメダイの聖母の聖堂」には今もひっきりなしに、多くの人々が聖母の誘いに応えてやって来ます。
「この祭壇のもとにいらっしゃい。ここで、心をこめて恵みを願うすべての人々に、その恵みが注がれるでしょう」

パリの「不思議のメダイの聖母の聖堂」の中に、腐敗しないまま今も眠る聖カタリナ・ラブレ。19世紀のフランスでは、各地で聖母の出現が報告されましたが、彼女の経験はそのさきがけとなったのです。

文責SMG 

2020年2月1日土曜日

魂の食事


 今年2020126日(日)に、「神のことばの主日」を初めてカトリック教会でお祝いしました。そこで、聖書と私との個人的なかかわりについてお話ししてみたいと思います。

 これは、修道会に入会してから最初の3年間の「見習い期間」に身につけた習慣ですが、夜寝る前に、翌日のミサの聖書箇所を読むことにしています。そして翌朝、午前515分ころに聖堂に行って、その日のミサの聖書箇所をもう一度読み直し、黙想します。

聖書は英語で読んでいます。日本語で読み流していたところで、気づくことも多いからです。
 












 ミサが終わって仕事に出かけ、その日一日あれこれと仕事をしているうちに、残念ながらせっかく朝 黙想したみことばを忘れてしまうこともよくあります。それでも、ふとしたきっかけで思い出すことがあるので、ふしぎなものです。

思うに、日々の聖書からの読書(レクチオ・ディヴィナ)というものは、毎日の食事と同じで、たとえ一回一回 何を食べたかあとになって思い出せなくても、必ず私たちの体の中で栄養素として働いているのでしょう。たとえば、夕食にインゲンのごまあえを食べたことを翌朝忘れてしまったとしても、インゲンから摂取したビタミンやミネラルが体内で消えてなくなるわけではありません。ちゃんと胃の中で消化されて、私たちが生きていくために必要な力になってくれます。同じように、2回も読んだはずの聖書箇所を、恥ずかしながら忘れてしまったとしても、そのときに得た「魂の栄養素」は私たちのなかでしっかり働いてくれています。

 聖書を黙想する方法は、さまざまです。私は数年前に黙想指導の神父様から教わったように、黙想中は体の姿勢を大きく変えないようにしています。なぜその神父様が――というより、その神父様が所属していらっしゃるイエズス会の創立者 ロヨラの聖イグナチオがそのように言ったのか、理由ははっきりとわかりません。おそらく気が散るのを防ぐためなのでしょう。


 その神父様から教わったもう一つの方法として、私はロザリオを使いながら聖書のみことばを祈るのも好きです。心に響いたみことばを、ロザリオの珠を繰りながら何度も心の中で唱えます。そうするうちに、そのみことばが心の深みに沁みとおっていくのを感じたり、あるいは誰かのための祈りとなっていくこともあります。

左のロザリオは長崎で購入したもの。
右は韓国人の神父様からいただいたもので、神父様方のために祈るときにこのロザリオを使います。
 























 教皇フランシスコは自発教令の形式による使徒的書簡『アペルイット・イリスAperuit illis』を、2019930 日(聖ヒエロニモ司祭の記念日)に公布しました。そのなかに、「主はご自分のことばの中にあらゆる宝を隠された。私たち一人ひとりが、黙想するものの中に富を見出すことができるためである」と書いています。私たちは日々、聖書のみことばを読んで、たとえそのときは心の中を素通りしていったとしても、ふとなにかの折に、「こういうことだったのか!」と思い至ることがあります。それが教皇フランシスコの言うところの「みことばの富を見出すこと」なのでしょう。毎日何ページも読まなくてもいいのです、長時間集中して黙想することなどもっと無理です。肩ひじ張って聖書と組み合うのではなく、まずは毎日少しずつ「魂の食事」を始めてみませんか?
                                                                            (SMP)

2020年1月3日金曜日





明けましておめでとうございます。

新しい年への門の前に一位の天使が立っています。
私は天使に願いました。
「私に光をください。
皆目分からない不確かな未来を安全な足で歩きたいのです。」
しかし天使は答えました。
「恐れずに暗闇にお入りなさい。
あなたの手を神様のみ手の中に置いてください。
これは光よりずっと良いことではありませんか。
慣れた道よりも安全なことです。」           
  中国の詩より
SMT