皆様お元気でいらっしゃいまか?
もうすでにご覧になった方もあられると思いますが、復活にふさわ
「古代ローマ。イエス・キリストを処刑した百人隊長クラヴィウスのもとに、イエスの遺体が消えたとの報告が届く。 エルサレムでの反乱の気運と、高まるメシア復活の噂を鎮めるため、ローマ総督ピラトから調査を命じられた彼は、イエスの弟子たちが遺体を隠したと確信し、遂に隠れ家に踏み込む。呆然と立ち尽くすクラヴィウス。なぜなら そこには彼が十字架に張りつけたはずの“あの男”がいたからだった。」
私がシスターになることへの最初の呼びかけ――召命(しょうめい)――を感じたのは、大学生のころ、同じ教会に通っていた男の子がある修道会に入る準備をしていることを知ったときでした。ミサが終わったあと、彼が会衆の前に立って、中学校を卒業したあと長崎にある修道会の志願院に入るという紹介がされました。それを聞いて、私はなぜか「いいな」とうらやましく感じたのでした。
それから数日後、卒業した大学の図書館に立ち寄った帰りに構内を歩いていたとき、在学中にお世話になったシスターと階段でばったり出会いました。私はシスターに、志願院に入る予定の例の少年について話しました。そして、自分がうらやましく感じたことも。するとそのシスターが、「あなたはどうして彼の決心に『いいな』と感じたのですか?」と私にたずね、私ははっとしました。そこで初めて、自分もまた修道者になりたいという望みを心の奥深くに抱いていたことに気づいたのです。
神様からの呼びかけにこたえて何か大きな決心をしようとするとき、私たちはしばしば別の力が邪魔するのを経験します。私が奉献生活者――教会ではブラザーやシスターのことをこう呼びます――になりたいという望みをはっきり意識したとき、今まで送ってきた「自由な」生活への愛着は、やはり断ち切りがたいものがありました。しかし、自分の足を引っ張るGの力を振り切ってジャンプすることを可能にしてくださるのは神様です。大学院を中途退学し、ボーイフレンドに別れを告げ、私の決断を理解できずに不機嫌に黙り込む父をあとにして、私は修道院の門をくぐり、そして今日までここにいます。
「見えぬけれどもあるんだよ。」
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ。
見えぬものでもあるんだよ。
金子みすゞ『星とたんぽぽ』より抜粋
金子みすゞさんの作品からは、見すごされたものをそっと拾い上げるようなあたたかさ、どんなものにも注がれているまなざしが伝わってきます。
「見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ。」このことばの響きに安心させられます。この詩を知ってから25年が経った今、「あなたが見ている世界が全てではない。人間の思いを大きく超えるものが必ずある。」そう言われているように感じます。++-
新しい年を神にゆだねています。見えないものに目が開かれていきますように。与えられた日々を信頼と感謝のうちに過ごして行かれるよう願っています。
SMV