私は二十歳のころにプロテスタント教会で洗礼を受け、二十五歳でローマ・カトリックに改宗しました。そのため、聖母マリアに対してはなじみが薄いだけではなく、聖母を崇敬することに抵抗すら感じていました。
しかしカトリック信徒として2年過ごし、修道会に入ってからは毎週日曜日にシスターたち全員でロザリオを祈るようになったりと、マリア崇敬の機会にふれることが多くなり、マリアさまは少しずつ私のなかで「お母さん」になっていきました。
マリアさまがうんと近い存在になったのは、2013年にドイツのヘーデ(Heede)を訪れたときです。ニーダーザクセン州にあるその村の墓地で、1937年から1940年までマリアさまが四人の少女たちの前に100回以上ご出現になりました。そのうちの一人、グレーテ・ガンゼフォート(Grete Ganseforth)はのちに聖痕(キリストが両手両足に釘を打たれたのと同じ傷が体に現れること)を受け、寝たきりになってしまった彼女のお世話をしたのが私たちの修道会のシスター・ダミアニスでした。マリアさまが現れた場所はGebetsstätte(「祈りの場所」の意)として美しく整備され、ドイツ国内外から巡礼者がひきもきらず訪れて、たえずロウソクがささげられているのを見て、私は心の底から感動しました。
| ドイツ・ヘーデの宇宙の元后聖マリア |
| グレーテ・ガンゼフォートとシスター・ダミアニス |
マリアさまが決定的に私の「お母さん」になったのは、2019年に仕事でオーストラリアに行ったときでした。滞在は順調でしたが、帰りがかなり大変でした。荒天のためアデレードからシドニーまでの便が45分ほど遅れ、シドニー空港では大慌てで日本への乗り継ぎ便に向かわなければなりませんでした。あせっていたせいか、パスポートを提示する段になって、そのパスポートがないことに気づいたのです! 必死にリュックサックをかき回しましたが、見つかりません。パニックになりそうなのを必死にこらえ、私は心を集中して、聖パードレ・ピオの取次ぎを願いながらアヴェ・マリアの祈りをゆっくり唱えました。するとそのとき、背後から日本人の若い女性が近づいてきて、「これ、落としませんでしたか?」と声をかけられました。彼女が差し出したのは私のパスポートでした。どうやら私は歩きながらポーチを取り出して、中に入っていたパスポートをうっかり落としてしまったようでした。外国からの旅行者が行きかう国際空港で同じ国の人が私のパスポートを拾ってくれ、しかもしれを私本人に返してくれたというできごとは、今でも奇跡のように思います。
「お母さん」マリアさまに助けていただいたもう一つのできごとは、これまた外国においてでした。2024年に私は仕事でアイルランドに行きましたが、滞在先の修道院に到着した晩、スーツケースが開かなくなったのです。ダイヤル式のスーツケースで、日本で何度か練習してきたのに、その番号の配列で開かないのです。アイルランドの次はスコットランドにも行くのに、2週間私は着の身着のまま過ごさなければならないのかしら? 近くに錠前屋がないかどうかスマホで調べましたが、そんなことをしていたら本来の仕事ができず、一緒に来ている同僚にも迷惑をかけてしまう!
またまた私は、心をなんとか静めてひざまずき、全集中力を傾けてアヴェ・マリアの祈りをゆっくりと唱えました。唱え終わるころには、「もう大丈夫、神様が何とかしてくださるだろう」という確信が心のなかで芽生えていました。シャワーを浴び、濡れた髪もそのままでもう一度ダイヤルを合わせてみると、私がセットしたダイヤルから2つほど番号がずれたところでカチリ、と音がしてスーツケースが開いたのです!
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| アイルランド・サーレスのご奉献の聖母修道会の修道院 |


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