10月下旬、長崎巡礼に行く機会をいただきました。以前から特別な印象を持っていた長崎の教会や原爆資料館などを訪れました。
街を走る路面電車や坂道を上った丘から眺めた風景を思い出しながら、見聞きしてきたことをたどっています。
キリスト教の広まりとキリシタンの迫害そして再発見、さらには原爆の投下がいずれも長崎で起きたことは決して偶然ではないように思います。長崎の街が、人々の平和を願う心と捧げられる祈りに覆われているように感じました。
そうしたなか、思い浮かんだのは「平和をもたらす人は幸いである。その人は神の子と呼ばれるであろう」(マタイ5章9節)というみ言葉でした。
永井隆博士が晩年を過ごされた如己堂において、心を合わせて唱えたアシジの聖フランシスコの「平和を求める祈り」を大切にしていきたいと思います。
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を 疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を 絶望のあるところに希望を
闇に光を 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを わたしが求めますように
わたしたちは 与えるから受け ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に 永遠のいのちをいただくのですから
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