殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会の創立に携わった恩人、ゲルハルト・ダル神父様。この方なくして本修道会の誕生はあり得ませんでした。
今年はダル神父様帰天150年記念の年です。以下に、ダル神父様について簡単にご紹介します。
1856年、ダル神父様(1783年生)が叙階45周年を迎え、ドイツ北西部、オランダとの国境近くにあるテュイネの主任司祭になって30年経った時、フランス北東部アルザス地方に位置するシュトラースブルヒの聖十字架修道女会から2人の修道女が、福祉活動をしている貧しい修道会のために寄付を集めながらテュイネの司祭館を訪れた。この会の修道女は子供の教育と病人の看護を目指して養成されていた。その同じ目的で小さい修道的な施設を設置する、という以前から抱いていたダル神父様の考えが熟し、1857年3月、シュトラースブルヒの総長宛にシスター2人の派遣を依頼、5月に、テュイネを管轄するリンゲンに2人のシスターが到着した。しかし、シスターたちは、ダル神父様から何も伝えられていなかった地区長の大司教区主席司祭から、さっさと帰るようにと言われた。一方、ダル神父様は、当初から数人の司祭にシスターたちがフランス人であろうという理由で反対され、最初の熱心さにもかかわらず自分の計画に自信がなくなっており、シスターたちの住む場所も用意していなかったところに、意外に早く、日時を知らせる手紙より前に彼女たちが到着したため、うろたえた。「2人のシスターは自分たちを招くのを初めから反対していた人たちだけではなく、自分たちを招いていた人の疑いをも乗り越えなければならなかった」。そして、長い熟慮の末、修道的従順により、とりあえずテュイネの主任司祭の望みとシュトラースブルヒの上長の命令に添うよう試してみなければならないという結論に達し、留まることにした。このようにして、南ドイツ出身のシスターたちの北ドイツでの新しい修道生活は、気候風土や地理的なもの、土地柄、食習慣、地方独特の言葉遣いに加えて、赤貧の内に始まった。
先見の明あるダル神父様は、本部修道院がフランスにあるが故に、「ドイツ生まれ」という出生証明書を有しながら、何となく「フランス人らしく」、そのためにこの地での活躍に支障をきたすことを見越し、また、いつか生粋のフランス人が来ないとは誰も保証できず、低地ドイツ語弁の単純な土地の人たちにとって勝手の悪いことになる可能性を危惧した。テュイネや周辺の信仰深い家庭の中には修道生活に心を惹かれて召命を感じる者も少なくなかったが、多くの場合、両親は子女をフランスに遣ることを躊躇した。また、遠距離にある本部修道院との連絡に簡単に利用できる通信網が少なく、シスターたちが年の黙想会に与るための大旅行も大きな問題であった。更に、本部でも若いシスターをテュイネの小さい支部に送る考えはなかった。
孤児や病人の世話をこれから先も確実に行っていくことが重要であると考え、その目的に適う独立した共同体を望んだダル神父様は、1869年7月末、85歳の時に“シュトラースブルヒの聖十字架修道女会”のシスターから成る、まったく独自の修道会を創立しようとオスナブリュック教区の当時の司教様に手紙を出した。そこには「“特別な修道者の共同体”を創立しなければなりません。そのために、準備をしておかなければならないという必要に迫られています」と報告している。
1869年11月25日、4人のシスター(その内、3人は南ドイツの出身)によって、シュトラースブルヒの聖十字架修道女会から分離した、新しいテュイネのフランシスコ修道会が創立された。
ゲルハルト・ダル神父様は、テュイネの主任司祭になって以来、尽力を惜しまず生涯をこの小教区に捧げた。素朴、質素を旨とし、司祭職に対する誠実さで時代に即応しながら巧みに司牧の任を果たした。また、些細な点に至るまで常に節倹を旨としつつも、必要とあれば私有財産をもって援助を惜しまなかった。彼の高貴な善業は、常に寛大に与える気構えであったとはいえ、慎重さを欠くものではなかった。彼の好意に溢れた生涯は、老年に至るまで健康に恵まれ、64年間の司祭生活の後、1874年7月12日、享年91歳で天に召された。彼は、教会、特に貧しい人々や病人、テュイネのフランシスコ修道会の最初のシスターたちにとって、父親のような司祭であり、助け手そして良き助言者であった。小教区の信者、また大勢の人々にとって、類を見ないほど、ご自分を顧みることのない賢明な恩人であり、開かれた心と勇気ある行動によって、時代の先を行かれる方であった。
ダル神父様の司牧者としての社会的かつ慈善的な愛の行いは、今日もなお生き続けている。
-参考文献-
・Mutter Maria Anselma Bopp, Gründerin der Kongregation der Franziskanerinnen vom hl. Martyrer Georg zu Thuine, Schwester M. Sixtina Eilers 著;1987
・「お帰りください! テュイネにはあなたがたのすることは何もありません」シスター・アンゼルマ・ポップとテュイネのフランシスコ修道会の成り立ち(1857-1869)上巻, シスター・マリアンナ・ローゼンベルガー 著;2012
・「主は貧しさのうちに私たちを祝福なさいました」ムッター・マリア・アンゼンルマ・ポップとテュイネのフランシスコ修道会の成長(1869-1887)下巻, シスター・マリアンナ・ローゼンベルガー 著;2023
尚、今月17日はパウリネ・ポップ、後の本修道会創立者ムッター・マリア・アンゼルマ・ポップ(1835-1887)の命日です。彼女は170年前の5月31日、シュトラースブルヒの聖十字架修道女会に入会しました。創立者については2023年7月のブログをご覧ください。
http://sapporomaria-in.blogspot.com/2023/07/
(SMS)
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