私が小学校2年生の時、雑誌『カトリック生活』の子ども向けのページで、ドメニコ・サビオとラウラ・ヴィクーニャが紹介されていました。この二人について学んだ、あるカトリック小学校の子どもたちの感想も載っていて、「わたしはドメニコ・サビオのようになりたい」と書いている子もいました。このような事を教わる学校もあるのだと知って、驚いたことを覚えています。特に、ラウラ・ヴィクーニャは、別の世界の女の子のように映り、その印象はずっと心の片隅にありました。
同じ頃、教会で会うことを楽しみにしていたシスターがいました。ミサが終わると、一緒に近くの病院へお見舞いに行ったこともあります。皆に優しく接し、ひたむきにお仕えするように働いていた姿が何かを感じさせ、私は心の中で彼女を「マザー・テレサのシスター」と呼んでいました。間もなく、シスターたちは引き上げて行かれましたが、「あのマザー・テレサのシスターは、今どこにいるのだろう」とたびたび思い出していました。
こちらの聖堂では、「恩人のために」という意向でミサが捧げられることがあります。このミサでは、すでに亡くなった方も含めて、お世話になった数多くの人々が自然と思い浮かびます。病床にあって、無力な状態で長年を過ごしていた家族、自らが困難を抱えながらも、思いやりや感謝を絶やすことなく生きる人々は、私に神を意識させました。彼らを通して、苦しみと恵みは分かたれたものではないということにも気づかされました。
教皇フランシスコは、「聖性とはイエスとの友情を真実に生きること」と述べておられます。私が子どもの頃に触れた「別の世界」とは、「イエスとの友情に生きる世界」のことでした。私の周りにいた、隠れたかたちでありながらも、主との一致に生きる人々のお蔭で、私はこの道へと導かれたと思います。その人々の祈りに今日も支えられていること、共に主との交わりの内にあることを感謝しています。諸聖人の祭日と死者の日を迎えるに当たり、このような事を振り返りました。