2025年4月28日月曜日

神に感謝

 


主よ、

「希望の巡礼者」として先に
旅立たれた教皇フランシスコの
ために感謝いたします。
永遠の喜びをたっぷり味わう
ことが出来ますように。
主よ、
あなたはおっしゃいました
「わたしはあなたたちに、
心にかなう牧者たちを与える。」
エレミヤ315
どうぞ、現在、牧者がいない
教会にみ心にかなう牧者を
お与え下さい。

 SMT

2025年4月18日金曜日

ご復活祭

 今年のご復活祭は420日です。聖木曜日から始まり、信者はイエスが世の救いのためにご自分を完全に捧げられるまでの道のりをたどります。聖木曜日の最後の晩餐を記念することから始まり、聖金曜日にはイエスが十字架に架かるまでの道のりの一歩一歩を思い起こします。

十字架の上で、イエスはその犠牲を通して一人ひとりへの愛を示されます。以下は、イエスの犠牲を説明するシエナの聖カタリナの言葉であります。

       「なんという筆舌に尽くしがたい愛だろう!その死によって、私たちに命を与えてくださった。侮辱と虐待に耐えることによって、私たちの威厳を回復してくださった。十字架に釘付けられた両手によって、私たちを罪の束縛から解き放ってくださった。刺し貫かれた心によって、私たちのすべての強情を取り除いてくださった。だから、私たちは何も恐れることはない。」

  聖金曜日に関する聖カタリナの言葉のもう一つは次の通りです。「イエスを十字架に留めたのは釘ではなく、私たちに対するイエスの愛だけでした」と。

このご復活祭に当たり一人ひとりにとってイエスの愛への信頼が深め、喜びの時となりますように!アレルヤ!


SMH


2025年3月1日土曜日

2025年 は 聖年 です

「聖年」をご存知ですか?
 聖年とは、カトリック教会で、ある一定の期間をおいてローマを訪れ、決められた条件に従って祈る信徒たちに、教皇が聖年の大赦と呼ばれる特別免償(免償:罪科としてはすでに赦免された罪に対する有限の罰の神の前におけるゆるしのこと)を与える一年です。
 聖年は英語で Jubileeと呼ばれますが、その由来は旧約聖書の「ヨベル(Jobel)の年」(レビ記 25.1~55 参照)に由来します。この年は、土地は原則として所有者に返され、土地の安息、負債の免除、奴隷の解放など、50年ごとにめぐってくる大恩赦、ヘブライ人の聖年の考えがあります。
 教会の歴史に残る第1回目の聖年は、教皇ボニファティウス8世の命によって1300年に行われ、聖地への巡礼と100年ごとの聖なる年という考えが加わり、歴代の教皇たちが聖年の規定を整えていき、1500年に教皇アレクサンドロ6世によってローマの四つの大聖堂の扉を開く式が始められました。

 現在の規定では、教皇は聖ペトロ大聖堂(ヴァチカン)の聖なる門を開き、ラテラン大聖堂(サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ)、聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ)、城壁外の聖パウロ大聖堂(サン・パウロ・フォーリ・レ・ムーラ)では、教皇が指名した代理によって同様の儀式が行われます。
 基本的には25年ごとの通常聖年ですが、20世紀以降の聖年は、他の意向で特別聖年(1926年アッシジの聖フランシスコ帰天700年記念、2015年いつくしみの特別聖年他)として、また、紀元2000年は100年ごとに実施される「大聖年」として祝われました。2025年は通常聖年ですが、2033年には、「キリストによる贖いの2000年記念」の特別聖年があるだろう、という噂もあります。
 2024年度の降誕祭の夜半のミサの始めに、教皇フランシスコは同大聖堂の「聖なる扉」を開かれ、これにより「希望の巡礼者」をテーマとする2025年の聖年が開幕、2026年1月6日にこの扉が閉じられ、閉幕します。



 教皇フランシスコは「巡礼が、聖年の全ての行事の基本要素であることは偶然ではありません」(教皇フランシスコ『希望は欺かない 2025年の通常聖年公布の大勅書』カトリック中央協議会:2024年)と記していることから、聖年のキーワードは「免償」と「巡礼」といえます。
 免償は、罪のために負わされる有限の罰からの解放が部分的であるか全体的であるかにより、部分免償と全免償に分けられます(「カトリック教会のカテキズム1471」より)が、ヨベル(Jobel)の年を起源とする聖年の最大の特徴は、全ての償いを赦免する全免償です。
 また、ローマを訪れることは簡単ではないため、各教区の司教座聖堂や、教区司教によって指定された教会・聖堂(2024年1月29日に開幕、2025年12月28日に閉幕するとされています)を巡礼することで、免償を得ることができます。
    
 札幌教区(北海道内)の巡礼指定教会は、

 ① 北一条教会(カテドラル:札幌)
 ② 旭川五条教会
 ③ 釧路教会
 ④ 帯広教会
 ⑤ 北見教会
 ⑥ 宮前町(函館)教会
 ⑦ 苫小牧教会

 以上の7教会です。但し、各教会にしかるべき扉が常設されているわけではありません。
 皆様もこの機会に、教会を訪れてみてはいかがでしょうか。


                聖年の祈り
  天の父よ、
  あなたは、わたしたちの兄弟、御子イエスにおいて信仰を与え、
  聖霊によってわたしたちの心に愛の炎を燃え上がらせてくださいました。
  この信仰と愛によって、
  神の国の訪れを待ち望む、祝福に満ちた希望が、
  わたしたちのうちに呼び覚まされますように。
  あなたの恵みによって、わたしたちが、
  福音の種をたゆまず育てる者へと変えられますように。
  この種によって、新しい天と新しい地への確かな期待をもって、
  人類とすべてのものが豊かに成長していきますように。
  そのとき、悪の力は打ち払われ、
  あなたの栄光が永遠に光り輝きます。
  聖年の恵みによって、
  希望の巡礼者であるわたしたちのうちに、
  天の宝へのあこがれが呼び覚まされ、
  あがない主の喜びと平和が全世界に行き渡りますように。
  永遠にほめたたえられる神であるあなたに、
  栄光と賛美が世々とこしえにありますように。
  アーメン。

(Wikipedia、tokidoki、カトリック中央協議会HP、カトリック新聞2024.12.22, 第4749号 参照)

                                         (SMS)

2025年2月11日火曜日

2月11日は世界病者の日です

 そして聖ベルナデッタが初めて、聖母にお会いした日がこの日でした。

ベルナデッタとはどういう女性だったのでしょう。1つご紹介いたします。

1867年5月16日、ジュール県生まれのアントワネット・ダリアスという18歳の

少女がヌヴェール修道会に着いた。このアントワネットは、やがてシスター・ベルナール

となってベルナデッタの親友の一人になるのだが、しかし、二人の間の友情の初めは非常に妙な事からであった。

5月19日、来たばかりの志願者は、もう1人のシスターに向かって

「いったい全体、私はここへきてもう3日になるのに、誰も私にベルナデッタを見せてくれる人がいないんだから」と言った。

するとこのシスターは「ベルナデッタ?ここにいるわよ」とすぐ隣の人を指さすと、

志願者は途端に「なあんだ、これかあ?」と叫んだのである。マリアを見たほどの人だから、きっと素晴らしい女性に違いないと彼女は考えていたらしい。しかしベルナデッタは「はい、お嬢さん“これ”ですよ」と笑って答えた。

このことがあってから、二人の間は非常に親しくなった。


SMB



2025年1月8日水曜日

希望はすでに始まっている


 私が修道会に入会したのは2002年でしたが、そのころはすでにシスターを志す人は少なくなっていました。たった1人で見習い期間をスタートし、ほかに仲間がいないので、不安でよく泣いていました。

「やはり自分はシスターとして向いていないのかも」。そんな思いに何度もとらわれ、実際あきらめかけたこともありました。なぜ踏みとどまることができたのかは、自分でもよく覚えていません。ただ今になってわかるのは、目上のシスターたちがあんな不安定な志願者に対して忍耐してくれたのは、私という人間にではなく神様に希望をおいていたからなのだということです



 話は変わって、去年の12月24日、サンピエトロ大聖堂で教皇フランシスコが「聖なる扉」を開き、カトリック教会では聖年がスタートしました。聖年のモットーは「希望の巡礼者」です。

「希望の巡礼者」というモットーが皮肉に響くほど、希望を持つことが今ほど困難なときはありません。戦争や紛争、テロリズムが絶えず、平和を祈っても一向にそのきざしが見えません。「こんなに熱心に平和を祈っているのに、戦争は終結するどころかますます激化しているのはなぜですか」とある人から問われて、私も答えることができませんでした。

 それでも私たちキリスト者は神に希望をおくことをやめません。私にとって「信仰」は「希望」の類語です。信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです。」(ヘブライ1.1)と使徒パウロは言いました。祈りがなかなか答えられないように感じても、いつか必ず芽を吹き、花を咲かせるだろうと、希望を捨てずに祈り続けます。


 希望を持つというのは、一回こっきりの行為ではありません。何度も何度も、ときには落胆や失望を味わいながらも、希望を「持ち直して」いくのだと思います。この聖年にあたって教皇フランシスコは『希望は欺かない』という大勅書を公布しました。そのなかで「希望と密接に結びついた徳」として「忍耐」をあげています。「聖霊の実で[ある]忍耐は、希望を生き生きと保たせ、それを徳としても生き方としても強めてくれます。ですから、希望の娘でありつつ、希望を支えてくれる忍耐の恵みをしばしば願い求めることを学びましょう」(『希望は欺かない』4)。すべての希望を吹き散らしていくようなこの失望の荒野で、私たちは忍耐強く何度も希望を持ち直していかなければなりません。

 現代社会に生きる私たちは、忍耐することが苦手です。ある人々はアマゾンプライムで映画を倍速再生して、「タイパ」(タイムパフォーマンス)を意識した映画の見方をするのだと聞いて、最初は冗談かと思いました。かくいう私も、誰かにメールを送って、相手からすぐに返事が来ないと不安になります。誰かにLINEでメッセージを送って、既読マークがついているのに一両日中に返信が来ないと、私は相手に対してなにか重大な罪を犯してしまったのではないかと、自分の言動を必死に反省し始めます。

 そんなに急いで私たちはどこに行こうとしているのでしょうか。
 そんなに急いで私たちは何に向かっているのでしょうか。

 修道会に入会して驚いたのは、シスターたちが高齢や病気の仲間に対して辛抱づよく奉仕する姿でした。時間や労力を惜しまず、ときには喜んで奉仕する彼女たちを通して、私はこの世とは正反対の価値観があることを知りました。こうした生き方ができるのは、シスターたちが神様に希望をおいているからなのでしょう。「この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである。」(マタイ25.40)というイエスさまのことばを信じ、そのみことばに希望をおく人々の生き方です。

 希望はすでに始まっています。シスターたちが日々の生活のなかですでに神への希望を実践しているように、私たちの希望はすでに始まっています。アメリカのテレビでおなじみだったマザー・アンジェリカは、天国についてこう語っています。「私たちはこの世の生活のなかで[すでに]天国を生き始めるのです。どのような状態にいるのかは問題ではありません。いいわけはなし・・・。私たちはこの地上で、今の場所、今の時代を生きるように置かれたのです。そこで私たちは聖なる者となるように招かれているのです」(Mother Angelica, What Is Heaven? p. 24 試訳)。希望もそれと同じで、教皇が聖なる扉を開いたときから私たちの希望が始まり、2026年1月6日に扉を閉じたときにそれが終わるわけではありません。教皇の動作はあくまでも目に見える象徴なのです。私たちの希望は今すでにここで始まっており、この先も――失望や落胆に打ちひしがれることがあってもなお――続いていくのです!

(SMP)

2024年12月24日火曜日


 もうクリスマス!
 今年もあっという間に終わります。
 あれもしよう、これもしようと思ったことも、なかなか思う通りに進みません。 そんな自分にガッカリした時に、神様は「仕方がない、よしよし」と言ってくださると思うようにしています。

 ところで、先月11月23日札幌マリア院で行われた、イエズス会の平林冬樹神父様の講話についてお話ししたいと思います。
「津和野・乙女峠のあかし人 一一 近現代の 教会の礎 一一」という、殉教者がテーマの講話でした。
 日本では、キリスト教は江戸時代から長い間禁教とされ弾圧を受けていました。明治政府になって近代化が推し進められましたが、宗教の自由については江戸時代と変わらず認められていませんでした。それどころかキリスト教の信仰を公にした信徒たちは、迫害を受け恐ろしい拷問によって少なくとも660人が命を落としたのです。

 平林神父様は、日本のカトリック教会の歴史とローマの教会の誕生の歴史について、双方とも大迫害を乗り越えて誕生した共通点があると話されました。
 ローマの教会は、聖霊降臨のあと再び集まった信徒たちによって生まれましたが、しかしそれから数百年の間、敵対者に囲まれて歩み続けました。キリスト教の信者であるという理由だけで、残酷な方法で公開処刑されたのです。しかし、信者は増え続け、命を奪われても神様の愛を信じ続けた多くの信者の証があったのです。

 ローマの教会と日本の教会との双方に共通するのは、神様は何があっても私と共にいてくださる愛の父なのだ、という命をかけた信仰です。
 日本では、故郷である長崎から引き離された約3,400人もの信者が、西日本の22藩22箇所に流配されました。キリスト教から神道に改宗させるためです。恐ろしい尋問や拷問にあっても、信者たちは信仰以外のすべてにおいて役人たちに従ったそうです。6年にも及ぶ過酷な流配にもめげない信仰の証しが、政府と世論を動かし、不完全ながらも信仰の自由が実現したのです。非暴力による主張で信教の自由を実現した例は、 世界に例を見ないそうです。
 恐ろしい尋問と拷問のもとでは、誰でも深い絶望と悲しみに落ち込んだことでしょう。しかし深い絶望を知る人こそ真の信仰を、神様への希望を見い出すことができることを示しました。
 このことは、混迷する現代に生きる私たちにも、希望を見い出すすべを教えてくれるのではないか、と平林神父様は話されました。


 私が特に感動したことは、 中には過酷な拷問により心ならずとも棄教してしまった人々もいたが、その人たちはある程度の自由を与えられると、信仰を守り続ける仲間を物心両面で助け続けたということです。信仰を守り続ける人々はその援助を快く受け入れ、棄教を責めたりはしなかったそうです。それどころか、のちに赦されて長崎浦上に帰る時に、棄教してしまった人たちは、それは本心ではなく迫害に耐えかねてのことだった、赦しの秘跡を受ける願いを叶えていただきたい、と司祭に手紙まで書いていたのだそうです。

 ゆるすということは、強さと優しさの両方がないとできません。誰かに対しても、自分の不甲斐なさに対しても。
 平林神父様のお話を聞いて、今の自分に不満ばかり抱いていたことを反省し、私の笑顔や態度によって少しでも周りの人々に、心の平和や安心感につながればと願う今日この頃です。

SMG