2025年11月2日日曜日

11月は死者の月

 カトリックでは11月は死者の月、亡くなった方々のためにお祈りします。教会の典礼歴で11月2日は「死者の日」とし、亡くなった全てのキリスト者を記念します。キリスト者の間では2世紀頃から死者のための祈りを唱える習慣が生まれ、次第にミサが伴うようになりました。
 キリスト教においては、「死」というものが神のみもとに帰り、永遠のいのちにあずかるということですから、亡くなった人の魂が永遠に安らかに憩うように祈りをささげることをかねてから教えてきました。
 わたしたちは生者と死者との連帯関係にあります。故人が天国に入るためにその霊魂があらゆる罪の汚れから清められ、神のみもとで永遠の幸福にあずかることができるように祈ることによって死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために執り成しをしてくださることを信じるがゆえに、教会はキリスト教の初期時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、死者のための祈願をもささげてきました。
 死は「終わり」ではなく、天国での新しい命を得る時です。 そして、そういった天国にいる方に思いをはせると同時に、今地上に生きている私たちが、自分の命について考えることも大切です。死は新たな人生の始まりであり、目的である天国への旅立ちであることを信じているからこそ、わたしたちは、人の死を素直に見つめ、悲しみの中にも安らぎを覚えるのです。
 キリストは『わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者はたとえ死んでも生きる』と教えられました。別離の悲しみのうちにもわたしたちは、このキリストのことばに慰めと希望を見いだします。
(カトリック儀式書「葬儀」・カトリック教会のカテキズム,953, 958:カトリック中央協議会;2002)

 では、次にメキシコ編「死者の日」ついてご紹介します。
 日本からの観光ツアーも企画され、世界的にも注目されているメキシコの伝統的な文化・風習です。メキシコは国民の約7割がカトリックです。(外務省メキシコ合衆国基礎データ 2020年 INEGI:国立統計地理情報院より)
 この日は、先祖や故人の魂が戻ってくると考えられ、一年に一度先祖に会える日として盛大に祝われます。明るく楽しい話と雰囲気で喜んで死者を迎え入れ、そして家族の絆を深め感謝することが目的です。国の祝日の為、学校や職場もほとんどの人が休みになります。2008年に「死者に捧げる先住民族の祭礼」としてユネスコ無形文化遺産に登録され、2017年には「リメンバー・ミー」というピクサー映画にもなりました。
 シャレコウベの砂糖菓子。「死者の日」が近づくと、メキシコ全土の露店で売り出されます。額に貼ったテープに名前を入れ、親しい人の間で贈り合うことも。日本では気味が悪いイメージですが、メキシコの骸骨は極彩色に彩られ、華やかで楽しげ。メキシコでは死んでも楽しい世界が待っていると考えるから、みんな笑っているのです。
 そして街はオレンジ色に彩られます。それは中米を原産地の一つとするマリーゴールドの花が街中にあふれるため。無数の花びらには太陽の色と熱を込めていると信じられ、「死者を導く役割」があり、祭壇からお墓までの道に花弁をまいて、道に迷わないように魂を安住の場所へ導きます。
 広場やショッピングモール、レストランやお店にも趣向を凝らした祭壇が、そして家庭でも大なり小なり祭壇をこしらえ、その前には山のような供え物が置かれます。「お供えという行為は、祖先を思い出すだけでなく、家族の過去、文化、伝統とつながることでもある」(メキシコ史研究者アルフォンソ・ガルドゥーニョ)
 現世へ戻ってきた死者が長旅による喉の渇きをいやすための水。死者の魂の行き帰りの道を照らすための光、信仰と希望を意味するろうそくの灯。故人の思い出の写真、生前好きだった食べ物や飲み物など、子どもの場合はおもちゃも供え、戻ってきた魂を歓迎します。死者の魂はその匂いを楽しみ、生きる人々と再会できる喜びを共有するとされています。カラフルな切り紙の旗はメキシコの伝統的な飾りで、死者の日を祝う喜びを表します。木の樹脂で作られるお香を焚き、その煙に賛美と祈りをのせて、塩も使い、祭壇の周囲を清め、死者の魂が安全に戻ってこられるよう場を浄化します。
 死者の日の晩餐には故人の席も用意して、亡くなった家族の魂が一緒に食事をします。そこに欠かせないのが「死者のパン」です。
 夜は、日中に掃除して飾り付け、いろいろな花(子どもの魂のために白い花、大人の魂のためにはマリーゴールド、真っ赤なケイトウ⦅これも死者の花⦆、キク類など)で献花された共同墓地に集い、沢山の太いろうそくを灯し、演奏したり歌ったり、料理を食べたり…。夜明けまで亡くなった先祖について静かに語りあう家族、お酒好きだった故人なら、大いに飲んで盛り上がることも。
 メキシコの死者の日は、故人を思い出し、祈ることに加え、先祖の魂が戻ってくるという習慣が、世界の他の国々と異なり、お盆を過ごす日本に似ているとされています。
 生は死によって支えられていること、生死を超えたつながりの中に生があるという現実を忘れないようにしたいものです。

<参考資料>
・メキシコ「死者の日」とお盆 死とともにある生=吉田敦彦 毎日新聞2021/8/20
・材料は骨ではありません メキシコの「ガイコツ」菓子 日経新聞2014/2/9
・在日メキシコ大使館HP
・一般社団法人ラテンアメリカ協会HP
・スペインプレスHP
・メキシコ国家人権委員会(CNDH)HP
・NHKラジオスペイン語講座 他

(SMS)  

2025年10月15日水曜日

心を神に!!

 

みなさん、お元気ですか?

 今日は1015日が記念日の聖テレサ(15151582)についてお伝えします。彼女は20歳でカルメル会ご託身修道院に入会し、のちに改革カルメル会を創立します。が、偉大な聖女であった聖テレサにも、こんなお話があります。これは私たちの心を神様に向かわせるいいお話しだと思います。「奇跡的に病気が治ると、私は訪問客との会話に身を入れ始めました。ある日、大変厳しいお顔のキリストが私の前に現れ、私がしてきたことに対する憤りをお示しになりました。別の時には、大きなヒキガエルのようなものが、すごいスピードでこちらに向かってくるのを見ました。」(自叙伝)

そして彼女は「完徳の道」のなかでこう言います

「主は、私たちが振り返って主を見ることを、この上なく望んでおられ、その為にはどんな手段も取らずにはいらっしゃいません。

あなたがたが心の目をただ一瞬だけ主に投げるのを、誰が邪魔できるでしょうか・・・・・・ところが主は、あなたがたから目をお離しになりません。

数えきれないほどの、主に背いて行った醜いことや忌まわしい罪を我慢してくださり、しかもそういう醜さも、あなたがたを見るのを、主にやめさせるに至らなかったのでした。」




SMB


2025年9月1日月曜日

「好奇心から教会に来ました」

 何年か前から、私は日曜日よく北1条カトリック教会の英語ミサに行っています。ミサの終わりに、初めてその教会に来た人たちが前に出て自己紹介する習慣があります。英語ミサなので、前に出てくる人の多くはカトリック信者の旅行者なのですが、なかには札幌市内またはその近郊在住の人で、「好奇心から教会に来ました」という人たちもいます。
 こうした人がいると、聖堂にいる人たちは「へえ」と軽く驚きます。外国では、たいてい宗教は先祖代々受け継がれてきたもので、単なる「好奇心から」ほかの宗教の礼拝堂を訪れる人はあまりいないからです。たとえばイスラム教徒で「好奇心から」キリスト教会に足を踏み入れる人はあまり多くないし、同じキリスト教でもプロテスタント教徒で「好奇心から」カトリック教会を訪れる人もあまりいません。

 しかし現代日本は実質的には無宗教の人が圧倒的に多いので、「好奇心から」教会を訪れる人はけっこういます。そして「好奇心から」とは言いつつも、実はその一言にもっと深い意味が隠されていることもあります。たとえば、「それまで特に信仰を持たずに生きてきたけれど、本当にこの世には人間を超える<存在>はないのだろうか。また、いろいろな人がいろいろな主張を声高に叫んでいるけれど、時代の風潮や個人の価値観に左右されない<真理>というものはないのだろうか。キリスト教のことは前から気になっていた。今日は勇気をふりしぼって教会に行ってみようと思った」というような動機です。しかし、短い自己紹介の場で長々と自分のことを語ることははばかられるし、そもそも自分の心の深いところで起こった<内的できごと>をことばで言い表すのは難しいものです。そしてまた、こうした魂の深みで起こったできごとは、神様と私とのあいだでひそやかにやりとりされてきたことなので、それを大勢の人々の前でむやみに話していいというものでもないのです。

 今年、フランスのカトリック教会で10,384人の成人の求道者が復活祭に洗礼を受けたことが、さまざまなメディアで取り上げられました。そのうち42%が18~25歳の若年層であったことはさらに大きな驚きを与えました。私も英語のニュース媒体で2,3人のインタビューを読みましたが、ある若い男性は軍隊に属しており、カトリック信者の上官からカトリックの教えについて手ほどきを受けたことが、教会に足を向けるきっかけになったと語っていました。またあるハイティーンの女の子は、両親とも教会にはむしろ敵対的な立場をとっていたが、自分は人生に確たるものがほしくて探求を続けた結果、カトリック教会にたどり着いたと語っていました。
 若い求道者の出現という現象はフランスだけではなくイギリスでも見られ、さらにはここ札幌地区で、数は少ないながらも同じような現象が見られるようになりました。私は3年前からある教会で入門講座を担当していますが、現在5~6人いらっしゃる求道者のうち、2人が20代、2人が30代です。札幌のほかのいくつかの教会でも20代の求道者が何名かいらっしゃり、先日は修道院に興味があるという高校生が引率の女性と一緒に私を訪ねてきました。

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない」(ヨハネ3.8)。日本のカトリック教会に子供や若い人が少なくなったと嘆かれるようになって久しいですが、聖霊は私たちが思いもよらなかったところに風を吹かせます。かつて日本の教会には、ヨーロッパ諸国から多くの宣教師、宣教女が来ていましたが、今は韓国、インド、アフリカ諸国から多く来てくださるようになりました。またここ数年は、ベトナム人の若い信徒が日本の教会を活気づけてくれています。「好奇心から」教会を訪れる人々が、やがて教会につながれ、キリストと出会い、そして日本の教会を支えていく力となっていきますように。
                                       (SMP)

2025年8月17日日曜日

8月15日 聖母被昇天の祭日に

  815日に、カトリック教会では 聖母被昇天の祭日を祝います。

 6世紀には聖母マリアの死去の日として東方教会で祝われていました。1950年に教皇ピオ12世により、聖母マリアが霊肉ともに天に上げられたことを教義として宣言されました。それ以降、教会ではキリストともっとも深く結ばれていた聖母マリアが真っ先にキリストの復活と栄光にあずかったことを祝っています。

 日本ではまた、8月15日は終戦記念日として平和について考えるきっかけにもなっています。



 私事になりますが、この日に私にとって特別なことが3年連続で起こったので、ここで分かち合いたいと思います。 

 

 最初に、2013815日イタリア・アシジのフランシスコ大聖堂の下部聖堂で、生まれたばかりのイエス様を包んだとされる聖母マリアのベールを見ることができました。このベールは年に2回だけ、815日の聖母被昇天の祭日とクリスマスに公開されるということでした。一緒にアシジを巡礼していたシスターと何度も聖堂にお祈りに行き、ひざまずいてお祈りしました。本当に突然の嬉しいプレゼントをいただいたと思いました。



 次に、翌年の2014815日、私は仕事について悩みがあり、なかなか解決策が見つからないでいました。しかしお祈りしているときに、神様からある資格をとるよう告げられた気がして、そう決心しました。そうすると思いもよらず実現することができたのです。


 3番目の翌年の特別な出来事は、2023年9月のブログに書いたので、よかったらごらんください。

 https://sapporomaria-in.blogspot.com/2023/09/


 さて 今年の815日には、特別なことは何も起こらなかったです。 普段どおり仕事をして普段どおりに過ぎていきました。しかしよく考えてみると、同じ地球上で悲惨な戦争や内戦により、平穏な日常生活を送りたくても送ることができない人がたくさんおられます。普段どおりの平穏な生活がどんなに貴重なものか、私たちは学ばなくてはなりません。 むしろこの平穏で普どおりの生活こそ、神様からいただいた貴重な奇跡かもしれないのです。この貴重な奇跡を恵んでいただいた私たちは、平和の尊さを世界の人々と分かち合わなくてはなりません。


 私たち一人一人の力は小さいものです。しかし世界中の皆が手を携えて平和の尊さを訴えていくことが、何よりも大きな力となるように神様がしてくださると信じています


(SMG)


 

2025年7月27日日曜日

「何も持たない」

 イエスは神の国を宣べ伝え、病人をいやすために十二人を遣わすにあたり、次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。」(ルカ9・2~3)


  この箇所を20年前に読んだ時には、「何も持たない」ということが心に残りました。アシジの聖フランシスコの姿も影響していたと思います。何人かの神父様のお話によると、ここで示されているのは宣教に際しての持ち物の規定というよりも、「今、準備されている状況で始めなさい」、「あなたが持っているもので戦いなさい」というメッセージのようです。必要なものは神様が備えてくださるから、心配することはないと言われているような気もします。

先日、私は15年ほど過ごした居室から移動しました。使用を委ねられている居室ですが、個人のものという感覚になっていたようです。身の回りを整理し、手放してよいものとそうではないものを判断する中で、今の私にとってこの移動は必要であると感じました。現代にあっては、持つことが暮らしの前提とされていることは否めません。便利さ、効率の良さ、さまざまな機会を望めば、自然と持ち物は増えていきます。その一方で、できるだけ簡素に過ごすことが理想とされてもいます。ある神父様が以前、持たないことによって生じる不都合な面を受け入れることは清貧の一部であると話してくださったことが思い出されました。

 

そうした中、私はある言葉を見つけました。一つはウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏の「本当に貧しい人とは、多くを持たない人ではなく、ますます多くを必要とし続ける、次から次へと欲しがる人のことです。」という言葉です。大統領在任中も農場で自然に囲まれた生活を送ったムヒカ氏は、その質素な暮らしぶりから、世界で最も貧しい大統領として知られていました。

もう一つは、教皇フランシスコの『ラウダート・シ』にありました。「わたしたちは、多様な宗教的伝統に、また聖書にも見いだせる、古来の教訓を思い起こす必要があります。それは「より少ないことは、より豊かなこと」という確信です。(中略)キリスト教の霊性は、節度ある成長とわずかなもので満たされることを提言しています。それは、人生の中で与えられる可能性に感謝するために、自分が所有するものへの執着を捨てるために、ないことを悲しみ挫けることがないように、小さなことに立ち止まってそれを味わえるようにしてくれる、あの素朴さへと立ち帰るということです。」


今年に入って亡くなられたお二人の言葉は、どう生きること望んでいるのかを私たちに尋ねているように思います。居室の移動は、今ある状況で、持っているもので新たに始めるためのヒントをいただく機会となりました。


SMV

2025年6月1日日曜日

イエスは私にイエスでありますように

私の故郷の大聖堂に福者ニールス・ステンセンさんの聖遺物が飾ってあります。

彼は1638年にデンマークで生まれ、有名な科学者・地球科学者、医師また熱心な   ルター主義の信者でした。彼は解剖学の分野で耳下腺の主導管(ニールス・ステンセンにちなんだStensen's duct)を発見しました。29歳の時フィレンツェでカトリックに改宗しました。そのきかっけはご聖体の行列でした。

ステンセンさんは自分の部屋の窓から外を眺めました。そこにローソク、お花、香、旗など、また侍者たち、顕示台を持っている司祭を見ました。そして大勢の方々が行列に入って、また道路に跪いた方々も見ました。その時、彼は「このホスチアはただのパンであるなら、礼拝する人々が愚か者であるか、またはここにキリストの真の御体があるなら、なぜ私もキリストを礼拝しないのか」といろいろ思い巡らしました。

そして彼は改宗して、神学の勉強を始めました。信仰をもっている科学者としておっしゃいました 。


 

「私たちが見るものは美しいです。

 私たちが知っているのはより美しいです。      

 私たちが理解できないものは

 極めて美しいです。」

 


彼は1675年、司祭に叙階され、2年後、司教となりました。ドイツ北部にて、数少ないカトリック教徒のために力を尽くしました。16861125日に亡くなられて、1988年、教皇聖ヨハネ・パウロ2世によって福者になりました。

SMT